連載
新 戦国太平記 信玄
第二章 敢為果断(かんいかだん)17 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   十五 (承前)

 甘利(あまり)虎泰(とらやす)が何か言いたそうな面持ちになるが、それを封じるように俯(うつむく)く。
 その様を見て、信方(のぶかた)が後輩の気持ちをほぐしてやる。
「甘利、ここでは言葉を吞み込まぬでよいぞ。勝手知ったる三人しかいない酒席なのだ。吞むのは、酒だけでよし。思うたことを話せばよいではないか」
 信方は甘利虎泰に一献を酌す。
「……わかり申した」
 虎泰は盃を干し、気を取り直すように話し始めた。
「信繁(のぶしげ)様の傅役(もりやく)として、こたびほど完璧な初陣を用意していただいたことは、身に余る光栄でありました。御屋形(おやかた)様の意気込みは並々ならぬものがあり、陣中の士気も高まっており、信繁様は臆することなく戦いと向き合われ、結果は完勝となりました。大きな合戦にて、これ以上の首尾はありませぬ。……と、まあ、ここまでは傅役としての感謝をこめた見解にござりまする。されど……」
 そう語ってから一息つき、意を決したように次の言葉を発する。
「されど、武田家家臣の一人として正直に申せば、前(さき)の戦(いくさ)は当家の現状を顧みぬ過分な戦であったと思いまする。度重なる天災や飢饉(ききん)で領内が疲弊する中、信繁様の御初陣があれほど大掛かりな戦でなくともよかったのではないか、と。禄(ろく)や褒賞も滞っており、いわば家臣に借財をするような形で合戦を構えてしまったということではありませぬか。出陣した将兵の多くは、こたびの戦に大した利がないことに気づいておりまする。このまま無理筋の戦を重ねていけば家中の不満や対立は膨らみきり、暴河が氾濫(はんらん)するが如(ごと)く、叛乱(はんらん)の蜂起を招きかねませぬ」
 甘利虎泰はかなり冷静に武田家の現状を捉えていた。
 ――まさか、甘利が事態をここまで深刻に考えておるとは……。しかも、それがしとまったく同じ思いを抱いている。
 信方は少し驚きながら後輩を見る。
「実は駿河(するが)殿、ひとつお話ししておきたいことがありまする。虎昌(とらまさ)が渡河を敢行する前に、戦の仕立てを巡り、土屋(つちや)殿と青木(あおき)殿が申し結び、陣内が険悪な雰囲気になりました」
 申し結ぶとは、喧嘩腰(けんかごし)の口論をすることである。
「なにゆえか?」
 信方が眉をひそめながら訊く。
「まずは、どの隊が最初に神川(かんがわ)を渡るかということにござりました。御屋形様の御下命は、『とにかく国分寺表(こくぶんじおもて)の敵先陣を一気攻めにせよ』ということでありました。そのためには敵を眼の前にしながら渡河せねばならず、水際で敵に押し返されると大きな痛手を負うことにもなりませぬので、どの隊も乗り気ではありませなんだ。その時、土屋殿と青木殿が互いに渡河を押し付け合い、己は後詰(ごづめ)に廻ると言い張りました。戦の仕立てを言い争うているように見えながら、嫌なことは他人に押しつけ、都合良く手柄を得ることしか考えていないのは明白であり、周囲も辟易(へきえき)としておりました。そこで御屋形様がお怒りになり、虎昌にお鉢が回ったという次第にござりまする」
「さようなことがあったのか。大変であったな、飯富(おぶ)」
 信方は顰面(しかみづら)の飯富虎昌を見る。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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