連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)17 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「備前殿」
 飯富虎昌が口を挟む。
「青木殿の寄合で、駒井信為殿がしきりに原加賀守殿を陣営に誘い込めと申されておりました」
「さようか。駒井殿の眼はあながち節穴ではないようだな。加賀守殿が加われば、百人力だろうからな。されど、おいそれと参加することはあるまい。駿河殿がどうしても家宰にならぬと申されるならば、それがしは加賀守殿にお願いしたいくらいだ。あの沈着冷静さは、誰にも真似できぬ」
「確かに」
 飯富虎昌も甘利虎泰の意見に賛同した。
 その様を、信方は困ったような面持ちで見ている。
「……まあ、二人とも、込み入った話はこのくらいにしておこうではないか。今後も折を見て集まるとして、今宵はもう少し気兼ねなく吞もう」
「承知!」
 二人は声を揃えて空の盃を差し出した。
 それに対し、信方は両手に摑(つか)んだ徳利を突き出す。
「もはや、酌がまどろこしい。武田名物、蟒蛇(うわばみ)較べといこうではないか」
「望むところ」
 甘利虎泰と飯富虎昌は喜んで徳利を受け取る。
 三人は徳利を片手に夜更け過ぎまで昔のことを語り合った。
 それから数日が経ち、信虎の駿府行きについての詳細が発表される。
 やはり、同行する御供衆は土屋昌遠や柳沢信興を初めとする武川衆の重鎮と決められ、 それによって同時に次の家宰が決まったと目された。
「駿府の婿殿が戦勝の祝いに歌会を開いてくれると申すので、しばらく甲斐を留守にする。戻ってから新しい席次を発表するゆえ、皆、襟を正して待っておれ」
 信虎(のぶとら)は上機嫌で言い渡し、その日の昼過ぎに駿府へ向けて出立した。
 一行が到着した翌々日、珍しい客が信方の屋敷を訪ねてくる。
「前触れもなくお訪ねし、申し訳ありませぬが、火急にお伝えしたいことがありまして」
 そう言ったのは長禅寺(ちょうぜんじ)の禅師、岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)だった。
 意外な来客に戸惑いながらも、信方は中へ招き入れる。
「御坊、いかがなされました」
「板垣(いたがき)殿だけにお話ししたいことがありまする」
「何でありましょうや?」
「実は、昨日、駿府より当方へ遣いが参り、ある御方が板垣殿にお会いしたいので取次を願えないかと申し入れてきました」
「駿府より遣い?」
 信方は眼を細めながら岐秀禅師を見つめる。
「……それがしに会いたいというのは、どなたにござりまするか?」
「拙僧の兄弟子にあたる、太原(たいげん)雪斎(せっさい)殿にござりまする」
「……義元(よしもと)殿の軍師、雪斎殿?……なにゆえ、あの方がこの身と」
「子細は伺っておりませぬ。ただ、すぐにお会いしたいので直々に願ってくれぬかとしか聞いておりませぬ」
「それはまた異な事を。頼み事ならば、普通は用件を伝えるはず。しかも、雪斎殿はすでに還俗(げんぞく)なされ、御坊の兄弟子ではありますまい」
「いいえ、他の宗派と違い、山門叢林(そうりん)の修行においての兄弟(ひんでい)は一生の契りを結びまする。皆様には分かり難いかもしれませぬが、世俗へ下っても生涯、兄は兄、弟は弟にござりまする。面倒を見てもろうた兄の頼みを、弟は断れませぬ。たとえ、子細はわからずとも」
 岐秀禅師は柔和な笑みを浮かべて答える。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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