その日の夕刻、晴信が信方のところに来る。 「板垣、相談があるのだが」 「何でござりましょう」 「実はさきほど、甘利が訪ねてきて、明日、信繁と一緒に遠駆けができぬかと申し入れてきた。なんでも、要害山城で一緒に弓の稽古がしたいそうだ」 「ほう、なるほど」 「されど、なにゆえ、さような話をこの身に伝えに来たのであろうか。いつもならば、そなたを通してくると思うのだが……」 晴信は小首を傾げる。 「ああ、なるほど。……おそらく、甘利はそれがしが断ると思うたのではありませぬか」 「そなたが断る?」 「ええ、それがしは明日、お役目で若神子(わかみこ)まで行かねばなりませぬので御供ができませぬ。加えて、御屋形様がお留守の時だと反対されると思うたのでは」 「そなたは反対か?」 「いいえ、特段、反対する理由もござりませぬが、それがしは御供できませぬ。若はそれでもよろしいので?」 信方の問いに、晴信はほんの少しだけ思案する。 「……まあ、かような機会でもなければ、信繁と遠駆けなどできないであろうし」 「さようでござりまするな。されど、遠駆けだけでなく弓箭のお稽古となれば、畢竟(ひっきょう)、最後は二つの陣営に分かれて競い弓となるのではありませぬか。その時に、弓の名手、この板垣めがいなくて大丈夫にござりまするか。甘利は、弓箭も相当の腕前と聞いておりまするが」 「えっ!?」 晴信が思わず絶句する。 「ならば、こうなされませ。警固も兼ねて、それがしの代わりに虎昌を供にお連れくだされ。それがしよりは少々劣りますが、あ奴ならば甘利に遜色(そんしょく)なき弓の腕前と存じまする。簡単に負けることはありますまい」 「飯富を?」 「はい」 「そなたから頼んでもらえるか?」 「承知いたしました。せっかくゆえ、ゆっくりと羽根を伸ばし、信繁様と時を過ごされるとよい」 「ああ、わかった」 晴信は笑顔で頷く。 「では、虎昌に頼んでまいりまする」 信方は飯富虎昌に依頼に行く振りをするが、すでに甘利虎泰との間で話は出来上がっていた。