万端の支度を調え、翌日の朝から晴信と信繁の遠駆けが始まった。 「信繁、山道の麓まで速歩(はやあし)で走らせよう」 「はい、兄上」 「騎乗に自信があるならば、抜いても構わぬぞ」 「えっ!?……まことにござりまするか?」 「まことだ。手加減はいらぬ。本気で参れ!」 晴信は愛駒の腹を軽く蹴り、手綱をしごく。 「あっ! 兄上!」 信繁も遅れまいと愛駒を発進させる。 その様を、甘利虎泰と飯富虎昌が苦笑いしながら見ていた。 「さて、われらもゆるりと参りましょうか。若君様たちを追い抜かぬよう」 虎昌が愛駒の首を叩(たた)きながら言う。 「そうするか」 甘利虎泰は愛駒を発進させ、一行は数名の近習(きんじゅう)だけを連れ、躑躅ヶ崎館を後にした。 要害山城に着くと、小さな帟(ひらはり)を設(しつら)え、鷹狩(たかがり)さながらの陣処を作る。それから、三十間(けん)の通し矢ができるように二つの射的を並べ、弓箭の稽古を始めた。 晴信と信繁は狩装束に弓懸(ゆがけ)をはめ、まずは試し矢を射る。それぞれが十本ずつ放ち、二人とも終わった時点で検分を行った。 「信繁、そなたは弓が上手いな」 的内にある本数を確かめながら、晴信が呟(つぶや)く。 「いいえ、兄上には敵(かな)いませぬ。十本すべてが的内に入っているではありませぬか。それがしは二本も的を外しておりまする」 「されど、真中丸を射抜いている本数は、そなたが多い。大したものだ」 「……さように誉(ほ)められては、面映ゆうござりまする」 信繁は照れたように首を竦(すく)める。 「あと二、三十本練習してから、甘利と飯富を交えて競い弓でもやるか?」 「はい。お願いいたしまする」 「よし、そうしよう」 晴信も嬉(うれ)しそうに笑う。 二人で和気藹々(わきあいあい)と弓を放ち、童(わらべ)の頃のように打ち解けた時を過ごす。 甘利虎泰が微(かす)かに瞳を潤ませながら、その光景を眺めていた。 練習を終えてから甘利と飯富を加え、弓競べが始まる。二つの陣営に分かれ、それぞれが十本の矢を放ち、点数を競うのである。 的内は中白とも呼ばれる真中丸が五点、一の黒丸が四点、次に二の白丸が三点、二の外黒丸が二点、三の白丸が一点、三の大外丸は残念ながら点数なしと数えられた。加えて、的を外した場合は、持ち点から一点が引かれてしまう。それを三番勝負、五番勝負、七番勝負などの決められた回数で行い、非常に単純な競技だが、やり始めると老練の武士でも夢中になってしまうほど面白い。 四人は極度に集中し、本気で的に向かっていた。