五 (承前) 二頭の駿馬(しゅんめ)が轡(くつわ)を並べ、競うように疾走する。 少しでも前へ出ようとする晴信(はるのぶ)の背を見ながら、信方(のぶかた)も負けじと手綱をしごいた。 ――若の騎乗が去年よりも格段に上手くなったような気がする。何よりも手綱捌(さば)きに迷いがない。 信方には今年になってから晴信が変わったように思えた。 まだ太郎という仮名(けみょう)を名乗っていた時は、父親から理由の定かではない不興を買い、重臣たちの冷たい視線に晒(さら)され、初めて迎えた正室も一年を待たずに失った。そのせいで生きる気力さえ希薄になるほど、失意のどん底に沈み込んでいた。 しかし、突然行われることになった元服の儀が立ち直りの契機となったのである。それとて、信虎(のぶとら)が京の公方(くぼう)と関係を保つための方便として行われたに過ぎず、嫡男としての披露目が行われたわけではなかったが、心気を改める機会になったようだ。 晴信は修学と兵法の稽古を再開し、以前にも増して真剣に打ち込んでいる。 ――大人として生きようとする自覚が、若の中で芽吹いたのかもしれぬ。 信方はそう思っていた。 あるいは、心奥に巣くおうとする呪縛を振り払うために、何か没頭できるものが必要だったのかもしれない。晴信は必死の覚悟を決めたが如く、これまでの倍の量で修学と稽古に取り組み始めた。 傅役(もりやく)にとっては願ってもない変化だったが、根本的な悩みが解決したわけではない。家中での疎外が依然として続いていたからである。 本来、主君の長男には多数の護衛が付くはずだが、晴信が動く時も信方が側に付いているだけであり、それだけを見ても、いかに軽んじられているのかが明白だった。 そこには信虎の意向だけでなく、重臣たちの思惑も大きく反映されている。 ――次郎様の御元服までになんとかせねばならぬとは思うが、正直に申せば、よい手立てが浮かばぬ……。とにかく今は晴信様の精進を見守りながら、己にできることから片付けてゆくしかない。 そんなことを考えている間に長禅寺(ちょうぜんじ)へ到着し、信方は愛駒を繋ぎながら晴信に言う。 「若、あえて事前に申し上げておきまする。御老師にはどうしても伺いたきことがありますゆえ、不躾(ぶしつけ)な問いがあったとしても、ご堪忍くださりませ」 「わかった。この身はただ駿府(すんぷ)の話を聞いておきたいだけだ。勝手に付いてきたゆえ、余計な口は挟まぬ」 「かたじけのうござりまする。では、参りましょう」 信方は寺の中へ入っていく。