連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志6 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)は居ずまいを正し、奥の間で待っていた。
 その面持ちを見て、最も驚いたのは信方である。岐秀禅師の表情がまるで審問を待つ囚われ人のように神妙だったからだ。
「そろそろお見えになる頃と思い、お待ち申し上げておりました。まず、最初に差し出がましい真似をいたしましたことを深くお詫びいたしまする」
 岐秀禅師は両手を合わせ、深々と頭を下げる。
「……さようなことを先に言われたのでは、気勢を削がれてしまいまする」
 信方は苦笑しながら頭を搔く。 
「いいえ、ご容赦はいりませぬ。こたびのことで、板垣(いたがき)殿が拙僧に対して様々な疑念を抱かれるであろうと思うておりました。すべてにおいて隠し立てなく、お答えいたす所存でおりますので、何なりとお訊ねくださりませ」
「そういうことであれば、遠慮なく」
 信方も真剣な表情で答えた。
 晴信は気配を消し、黙って二人の対峙(たいじ)を見ている。
「まず、お聞きしたいのは、御老師と今川家の関係についてでござる。御屋形(おやかた)様からは五男の傅役と以前からのお知り合いと聞いておりまするが」
「はい。今川家の五男、義元(よしもと)殿の傅役は太原(たいげん)雪斎(せっさい)殿と申し、拙僧が京の五山で修行をしておりました時分、建仁寺(けんにんじ)で面倒をみていただいた兄弟子にござりまする。その時は義元殿も僧体であり、まだ栴岳(せんがく)承芳(しょうほう)と名乗っておられ、拙僧もお会いしておりまする。されど、御二方は妙心寺(みょうしんじ)で掛錫(かしゃく)なさった後、今川氏輝(うじてる)様の要請で駿府に戻られました。その時、拙僧は大井の御方様のお招きでこの長禅寺におりましたので、駿河の善得院(ぜんとくいん)に入られた雪斎殿とは文(ふみ)のやり取りなどしている間に、こたびの騒擾(そうじょう)と相なりました」
「あえて、お聞きしますが、今川家の五男と傅役は還俗(げんぞく)するという前提で駿府に戻ったのではありませぬか?」
「さように聞いておりまする。拙僧が聞きました今川家の内情を詳しくお話しいたしますが、実は武田家との対立だけでなく、氏輝様は三河で勢力をのばす松平党に手を焼いていたようにござりまする。武田家のことならば、東の北条家と協力できますが、西のことになると与力を願うこともできず、家中の将が足りぬため、五男の承芳殿に戻ってもらうことにしたとのこと。学侶になるしか道がなかった拙僧とは違い、元々、御二方は武門の出であり、京にいらっしゃる時から、いずれは駿府に戻って還俗したいと申されておりました。それに……」
 岐秀禅師は次の言葉を言い淀(よど)む。
「それに?」
「……雪斎殿は建仁寺にいらっしゃる頃から秀才の誉れ高く、人一倍、野心も強い御方にござりました。されど、その野心は京五山のような山門で管主になるということではなく、武門に戻って軍師になりたいという望みにござりまする。五男の義元殿は氏輝様の母、寿桂尼(じゅけいに)殿のお子でありましたゆえ、還俗すれば今川家の御一門衆となることは確実でありました。その御側におれば己も武人として活躍できるはずだ、と公言なされておりました。雪斎殿の御両親は今川家の重臣でありましたゆえ」



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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