連載
新 戦国太平記 信玄
第一章 初陣立志4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   三 (承前)

 甲斐国の南巨摩(みなみこま)郡、万沢(南部町)に武田勢の陣が布かれていた。
 その一角に、数名の漢(おとこ)が集まっている。家宰の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)を囲み、土屋昌遠(まさとお)、柳沢貞興(さだおき)、飯田虎春(とらはる)、加藤虎景(とらかげ)らが険しい面持ちで膝をつき合わせていた。
 どうやら、武田信虎(のぶとら)の最側近だけで密談が行われているらしい。
「本日、都留(つる)の信友(のぶとも)殿から早馬で一報が届いたのだが、少々、厄介なことになりそうだ」
 荻原昌勝が言った信友殿とは、武田信虎の腹違いの弟である。
 勝沼信友は小山田信有(のぶあり)と共に甲斐、相模、駿河の国境が入り組む都留郡において、今川と北条の双方に相対していた。
「……いかなる厄介事にござりまするか?」
 柳沢貞興が上目遣いで訊く。
「小田原城の北条氏綱(うじつな)が動いたようだ。伊豆と相模の兵を集め、箱根を越えて都留郡へ向かっているらしい」
「われらがこの万沢口で今川の軍勢と睨み合っている間に、北条が都留の方面から新府へ迫ろうという狙いにござりまするか。して、勝沼殿は、北条勢の兵数をいかほどぐらいと見ておられまする?」
「小田原からの兵だけで、ゆうに一万は超えているのではないかと伝えてきた。さらに大沼鮎沢の御厨(みくりや)(後の御殿場)辺りで合流する伊豆の兵を加えれば、相当な数となるであろう。しかも、周囲の地頭どもを糾合し、進軍しながら軍勢に加えているそうな」
 荻原昌勝の言葉に、他の者たちは思わず眉をひそめた。
 飯田虎春が小声で呟く。
「……どうも聞けば聞くほど、少々の厄介とは思えませぬな」
「貞興、都留にはどのくらいの兵がいたであろうか?」
 土屋昌遠が後輩の柳沢貞興に訊く。 
「勝沼殿と小山田の兵を合わせても二千五百ほど、三千には満たぬと思いまするが」
「数だけで較べれば、とても互角に戦えるとは思えませぬ。常陸守(ひたちのかみ)殿、御屋形様には、お知らせいたしましたか?」
「お知らせする前だから、そなたらに相談したのではないか。報告してしまえば、すぐに御命令が下るであろう。御屋形様ならば、『この万沢で今川氏輝(うじてる)を叩いてから都留へ向かうゆえ、それまで凌(しの)いでおけと伝えよ』とでも仰せになるはずだ。それがわかっておるからこそ、何か良い献策がないかと思うた。このままでは都留の信友殿が危ういからの。もしも、信友殿が戦わずに退けば、北条勢が新府まで押し寄せる恐れがある。逆に、戦えば全滅もあり得るであろうて」
 荻原昌勝は渋面(しぶづら)で言った。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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