信虎は己が仕掛けた一連の出来事を横目で見ながら、それを嘲笑うかのように側近たちが驚くような行動に出た。 年明けに、太郎の叙爵を執り行うと発表したのである。朝廷から官位を授かるということは、元服の儀を前提としているということだった。 それまで次郎を担ごうとしていた側近たちは驚愕し、御前小路にある荻原昌勝の屋敷に集まった。 「常陸守殿、勝千代(かつちよ)殿の叙位叙任とは、どういうことにござりまするか。廃嫡され、次郎様が跡を嗣(つ)ぐはずではありませなんだか?」 飯田虎春が口角に泡を飛ばしながら問う。 「騒ぐでない。これも御屋形様の深慮遠謀のひとつだ」 荻原昌勝が仏頂面で窘(たしな)める。 「いかなる策にござりまするか。是非に、お聞かせくだされ」 「次郎様はまだ齢十一じゃ。元服を迎えるまでには、まだ時がかかる。そこで勝千代殿に叙爵をさせ、京の朝廷や幕府と繋がりを深めておこうという算段であろう。ちょうど北条は扇谷上杉と争うており、諏訪頼満とは和睦をし、東山道から京への道も開けたのだ。この機会に今川にも負けぬ京との関係を築くための叙爵ではないか。なにも勝千代殿が次の惣領と決まったわけではない」 昌勝の説明で大方の者たちは納得した。 「……されど、事情を知らぬ家臣や近隣の者たちが、勘違いせぬとも限りませぬ」 飯田虎春がさらに喰い下がる。 「しつこいの、虎春。御屋形様は、こう仰せになられた。廃嫡など、この胸先三寸でいつでもできる、と。その御言葉がすべてじゃ」 「ああ、そういうことにござりまするか」 「この話は、もう仕舞だ」 荻原昌勝は不機嫌な面持ちで話を締め括った。 どうやら、この家宰も完全に納得しているわけではなさそうだ。 叙爵の話を聞き、躍り上がるほど喜んだのは、やはり信方だった。 ――まことによかった。叙爵、元服となれば、次は初陣。ここで手柄を上げれば、御屋形様もきっとお認めになってくださるであろう。太郎様の覇気も少しずつ戻ってきたところであり、やっと良い兆しが見えてきた。 そして、年が明けた天文五年(一五三六)一月十七日、待望の日がやって来た。 太郎は朝廷から従五位下に叙せられ、左京大夫の官途を与えられる。さらに京の公方、足利義晴(よしはる)から偏諱(へんき)を賜り、改めて「晴信(はるのぶ)」と名乗ることになった。 これは元服の儀を前提とした慣例であり、次は乙名(おとな)として初陣に臨むことになる。 「晴信様、御目出度うござりまする」 信方は大門直垂の袖を捌(さば)いて平伏する。 太郎改め、武田晴信は衣冠束帯を身に纏い、少し照れくさそうに笑った。 母の大井の方と藤乃(ふじの)がその光景を嬉しそうに見ていた。 すべての事柄は父、信虎の思惑の中で進んでいたが、その矢先に思わぬ事も起こる。 それは隣国、駿河を揺るがす大事件だった。