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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 二人が戻ってからしばらくして、甘利虎泰も躑躅ヶ崎館に帰ってくる。その顔を見て、信方は一瞬で募兵が不調に終わったことを悟った。
「虎泰、われらだけで都留の救援は無理だ。ここを守りながら、御屋形様の帰還を待つしかあるまい」
「その間に信友殿が打ち破られ、北条が新府に攻め込んできたら、いかがいたしまする」
 甘利虎泰は顔をしかめながら訊く。
「その時は、その時だ。なるようにしかならぬ」
「駿河守殿がさように申されるのならば、肚を括(くく)るしかありませぬな」
 虎泰が苦笑した。
 そこへ太郎がやって来る。
「板垣、具足の付け方を教えてくれぬか。この身も戦いに備えねば」
「具足?……ああ、わかりました。鎧はどちらに?」
「室の納戸にしまってあると思うのだが」
「では、まず鎧櫃(びつ)を出し、室で着付けを行いましょう。虎泰、運ぶのを手伝うてくれ」
「承知いたしました」
 歩き始めた甘利虎泰に、信方が耳打ちする。
「若は初陣はおろか、まだ元服も済ましておらぬ。初めての着付けは女人が手伝うのだが、致し方あるまい」
 二人は鎧櫃を室へ運び、真新しい具足を取り出した。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」
 信方は魔除けの九字を切ってから、太郎に着付けの手順を説明する。
「まずは小袖を着て大口袴をつけ、さらに鎧直垂(ひたたれ)を身に纏いまする。その後は籠手(こて)から順に具足を身につけまする」
 太郎は神妙な面持ちで小袖を着て大口袴をつけ、それから床几(しょうぎ)に腰掛け、乱髪をさげた頭に折烏帽子(おりえぼし)をかぶる。
 その烏帽子の上に、信方が真っ白な鉢巻をかけて締めた。
 次に、武田菱の紋がちりばめられた錦襟の鎧直垂を身に纏い、左袖を抜いて脇に畳む。袴の括り緒をきつくしめ、脛巾(はばき)を当てる。太郎の頬が心なしか紅潮していた。
 籠手、脇楯、佩楯(はいだて)が次々と身につけられ、鎧姿が出来上がっていく。最後に見事な金泥の武田菱大紋が入った小桜韋威(こざくらがわおどし)の胴丸をつけ、金銀装の太刀を佩(は)いた。
「立派なお姿にござりまする」
 信方が笑顔で頷く。
「やはり、重いな……」
 床几から立ち上がった太郎が呟いた。
「兜(かぶと)は御出陣の時に。本来ならば、出陣の縁起をかつぐ三献の儀を行わなければなりませぬが、急なことゆえ、ご勘弁を」
 三献の儀とは、出陣する武将が南を向いて三三九度の盃を乾した後、「打ち、勝つ、喜ぶ」を表す打鮑(うちあわび)、勝栗(かちぐり)、結び昆布の縁起物を一口ずつ食す習わしのことである。
「具足をつけ、少し気が引き締まった」
 覇気が戻った太郎の顔を見て、信方は目を細める。
 それを見ていた甘利虎泰は小さく頷いた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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