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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「されど、御屋形様。敵の数が尋常ではありませぬ。都留には、われらの兵が二千五百ほどしかおりませぬ」
「余が無策でかようなことを申したと思うておるのか?」
「……いいえ。どうか、この蒙昧(もうまい)な常陸めに、御屋形様の策をご教授くださりませ」
「余は、少しの間と申したのだ。その意味がわからぬか?」
「今川を撃退した後に救援に出向かれると?」
「ここまで出張ったのだから、もちろん氏輝は叩く。されど、救援に向かうまでもなく、氏綱の青尻に火がつく。都留で悠長に戦など構えておられぬわ。ここまで申しても、わが策がわからぬか?」
「はい……」
「朝興(ともおき)が相模に攻め入り、小田原城まで迫る」
「扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)が!?」
 昌勝が思わず驚きの声を上げる。
「……されど朝霧(あさぎり)姫様の一件が」
「それについては、朝興は未だに憤慨しているであろう。されど、娘の死と合戦は、まったく別のことだ。よいか、元々、相模は扇谷上杉の所領であったのだ。されど、身内の大森家が叛(そむ)いた際、伊勢宗瑞を動かして小田原城を奪(と)らせてから、まんまと北条に乗っ取られてしまったのだ。それが高じて今では武蔵まで蹂躙(じゅうりん)される始末だ。その憎き敵の本城が空になるのだ、朝興とて黙ってはおれまい。奪われた所領ならば、機を待って力尽くで奪い返すというのが、一門を統(す)べる惣領(そうりょう)の性というものだ。北条を甲斐へ引き寄せる策を講じたゆえ、相模の諸城と小田原を存分に攻められよと、朝興には伝えてあり、『まことに北条が動いたならば、玉縄(たまなわ)城を手始めに小田原まで攻め寄せましょう』という返書も得ておる。それゆえ、朝興と都留の信友に早馬を飛ばし、われらは少し時を稼げばよい」
「なるほど、懼れ入りました。さすがは御屋形様。われらの浅慮では、足許にも及びませぬ」
「信友にはまともに戦わず、地の利を活かせる狭隘(きょうあい)な場所に敵を誘い込み、のらりくらり躱(かわ)せと伝えるがよい。それと、信友からも朝興に一報を届けさせよ。同時に、二つの陣から早馬が来れば、疑り深い朝興もその気になるであろう」
「承知いたしました。して、われらは今川との一戦に打って出ると」
「先代の氏親(うじちか)に比ぶれば、氏輝は手緩(てぬる)い。明日の夜更けに夜襲をかけて敵陣に火を放ち、総攻めに転じる。できれば、このまま富士川を南下し、駿河湾へ出て三保の松原でも眺めたいものだな」
「まことに。では、すぐに早馬の手配りを。これにて、失礼をば、いたしまする」
 荻原昌勝は主君の前を辞し、都留と武蔵の河越(かわごえ)城に遣いを飛ばした。
 それから側近たちの処(ところ)へ戻り、信虎の策を伝える。
「やはり、御屋形様は並ならぬ御方だ。あれほど怒っていた朝興殿をわれらのために相模へ出兵させるとはな」
 飯田虎春が感心したように何度も頷く。
「ならば、われらは眼前の戦いに専心すればよいということだな。夜襲はそれがしに任せてくれ」
 加藤虎景が眦(まなじり)を決する。
「頼み申した。決戦の開始は明日の夜更け過ぎからじゃ。各々、万全の支度を」
 荻原昌勝は厳しい面持ちで言い渡した。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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