連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 雄大な富士山を挟み、万沢と都留に分かれた武田勢の緊張が高まる中、勝沼信友から新府へも早馬が出される。
「北条勢、二万近くの軍勢で都留へ進軍中。注意されたし」
 その一報を躑躅ヶ崎(つつじがさき)館で受けとった板垣(いたがき)信方(のぶかた)は仰天した。
 ――今川を攻めれば、北条が動くことはわかっていたが、まさか二万もの大軍になるとは……。都留には、敵方の十分の一の兵しかいないはずだ。どうする!?
 信方は己の頬を両手で叩く。
 ――とにかく、若にこのことをお伝えし、眼を覚ましてもらわねば……。
 朝霧姫が亡くなってから、太郎は室(へや)へ引き籠もり、無気力な日々を送っている。修学や弓箭(きゅうせん)の稽古も放り出したままだった。
 信方は太郎の処へ行き、怒ったように声をかける。
「若、板垣にござりまする! 火急の件にて、失礼仕りまする!」
 言い終わる前に、襖戸を開け放つ。
 文机の前に座っていた太郎が振り向き、ぼんやりとした視線を向けた。
「……ああ、板垣か」
「一大事にござりまする! 勝沼殿から一報が届き、御屋形様の留守を狙い、北条勢が大軍で都留へ迫っているとのこと。おそらく、敵の狙いは都留だけではなく、この新府にござりまする!」
「……ああ」
 太郎の反応は鈍い。
「若、しっかりなされませ! 万沢におられる御屋形様がお戻りにならねば、われらだけで勝沼殿の救援に向かわねばなりませぬ。すぐに兵を集める算段を」
「……すまぬ。考えても考えても、答えが出ぬゆえ、頭がぼうっとして……」
「当たり前にござりまする! 考えても答えの出ぬことを考え続ければ、やがて頭が働かなくなるだけにござりまする。そんな時は、考えようとする己を放擲(ほうてき)し、軆(からだ)を動かさねばなりませぬ。そうしないと、答えの出ぬ悩みに気力まで根こそぎ奪われてしまいまする。しっかりなされ!」
 信方の言葉に、太郎は眼を見開く。まさに、それが今の己の状態である。
「……そなたの……申す通りだ」
 簡潔に言い当てられ、太郎は眼から鱗が落ちる思いだった。
「若の気が済むまで待つつもりでありましたが、そうもいかなくなりました。何がなんでも動いていただかねばなりませぬ。武田家存亡の危機ゆえ」
「ああ、わかった」
「では、まずは新府に残っている者たちをまとめ、近隣の村々に募兵を呼びかけましょう」
 信方に促され、太郎はやっと動き出した。
 二人はまず甘利(あまり)虎泰(とらやす)の処へ赴く。次郎の傅役(もりやく)として新府に残った数少ない家臣の一人だった。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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