よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   六十

 今川(いまがわ)義元(よしもと)、桶狭間(おけはざま)にて討死。
 その急報を聞き、信玄は己の耳を疑う。
 ――義元殿が討死?……まさか。……相手はいったい誰だ?
 信玄は今川家との取次役を務めている駒井高白斎(こまいこうはくさい)昌頼(まさより)に訊く。
「義元殿を打ち破ったというのは誰だ?」
「尾張(おわり)の清洲(きよす)城々主、織田(おだ)三郎信長(さぶろうのぶなが)の家臣だそうにござりまする」
「おだ?……のぶなが?……何者であるか、そ奴は」
 信玄は眉をひそめる。そのような名に覚えがなかった。
「織田家は尾張で斯波(しば)家の守護代を務めてきた一門にござりますが、三郎信長はその庶流である弾正(だんじょう)家の嫡男と聞いておりまする」
「義元殿の上洛は万全を期し、二万余の兵を率いてのことだと聞いた。尾張の地頭(じとう)如(ごと)きに、それを跳ね返すほどの兵力があったということか?」
「いいえ、織田勢は二千弱であったらしく、そのぉ……、なにゆえか、今川勢の本隊が避けがたい奇襲にあったらしく……」
「奇襲、だと。されど、いくら虚を衝(つ)かれたとて、いきなり総大将の首級(しるし)を奪(と)られるとは信じ難い。いかなる戦(いくさ)であったか、至急、伊賀守(いがのかみ)に調べさせよ。詳細が知りたい」
「はっ!」
「それに、その桶狭間というのは、いったい、どこにあるのか……」
 少し混乱しながら、信玄が呟(つぶや)いた。
 北条(ほうじょう)家を加えた三国同盟で互いの背を預け合っている以上、今川義元の討死が事実ならば、武田家にとっても由々しき問題だった。
 海道一の弓取りと讃えられた盟友が二万の軍勢を率いながら、さほど簡単に討死するとは考えられない。
 そこには何か大きな理由があるはずであり、早急に対策を練る必要があった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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