第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
若い頃から無類の酒好きだった穴山幡龍斎は、懇談の後に他家で開かれる酒宴の席で酔いすぎ、役目を失敗したこともあった。
しかし、今回は駿府で自ら飲酒を戒め、盟約の存続を確認するという大役を無事に果たして帰還する。まさに御一門衆の長老としての面目躍如であった。
ところが、自邸での晩酌でしたたかに酔って眠った後、そのまま息を引き取ってしまったのである。大往生というには早すぎる享年五十五歳での急逝だった。
それが永禄三年(一五六〇)十二月十六日のことである。
まったく予想だにしていなかった訃報に、信玄は大きな溜息をつく。
それから、穴山信君にしみじみと語る。
「まったく最後まで豪放磊落(ごうほうらいらく)な漢(おとこ)であった。当家の酒宴では、幡龍斎と最後まで盃を重ねられてこそ、真の漢、真の蟒蛇(うわばみ)と認められた。されど、誰も最後までは一緒に呑めず、いつも幡龍斎だけが高笑いしながら盃を呷っていたという。あの鬼美濃でさえも……。余とて同様だった。一緒に吞んでいたはずなのに、気がつくと幡龍斎の膝を枕に倒れていた。それも意に介さず、幡龍斎は笑いながら悠々と盃を傾けていたのだ。あのように憎めぬ宿老(おとな)ほど、早く逝ってしまう」
「……まことに、無念にござりまする。されど、父は最後の大役を果たし、満足したと思いまする」
穴山信君が眼を潤ませながら答える。
「そうだな、信君。幡龍斎が一命をもって繋いでくれた今川家との絆(きずな)は、決して無駄にせぬ。この後は、そなたが父の代わりに氏真殿と誼(よしみ)を通じてほしい」
信玄の言葉に、若き穴山家の嫡男は大きく頷いた。
突然の訃報を聞いた今川氏真からも、丁重な弔問状が送られ、「穴山幡龍斎殿の名において、末永き盟約の存続をお願いいたしまする」という一文で締められていた。
年末を前に、甲府と河内で穴山幡龍斎信友の盛大な葬儀が行われた。
そんな中、上野では長尾景虎の率いる越後勢は本国へ帰還せず、そのまま厩橋城で年を越したのである。
その間、関東の諸将に対して檄(げき)を飛ばし、北条討伐への参陣を求めた。
そして、なぜか関東の諸将が景虎の下へ結集し始め、兵の数が急激に増大し始めたのである。
そこには北条氏康や信玄が知らない事情があった。
今川義元の頓死に始まった三国同盟の危機は、東海から坂東へと飛火し、予想外のうねりを見せ始めた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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