よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 今川義元の上洛については、これまで何度も話の俎上に載り、信玄も「貴公も一緒に上洛せぬか」と誘われていた。
 だが、その申し入れには、躰(てい)よく断りを述べてきた。
 ――上洛などという物見遊山をしている暇はない。形だけの栄誉などいらぬ。まずは信濃(しなの)を盤石に固めることが先決であり、何よりも実利を優先する。
 それが己に課してきた選択だった。
 五月十日に今川勢の先陣が駿府(すんぷ)を出立し、それに先だって朝廷から今川義元を三河守に補任する旨が伝えられ、嫡男の今川氏真(うじざね)も父と同じ治部大輔(じぶのたゆう)に昇格する。
 この件は盟友である信玄と北条氏康(うじやす)にも、事前に伝えられていた。
 ――さすがは、今川家。根回しに抜かりなし、か。義元殿が三河守に補任されたということは、すでに朝廷と幕府が駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、三河の統治を認めたということである。さすれば、公方との間に「尾張一国もすでに今川が平らげ、東海道の四国を統べてよし」という暗黙の了解があるはずだ。大義名分も揃っている。しかも、嫡男の氏真を治部大輔にしたということは、家督を譲って本国である駿河と遠江の経営を委ねたということに相違あるまい。こたび、上洛を表明した上での進軍には、さような意味があったということだ。
 その読みは、まさに今川義元の狙いそのものだった。
 盟友の今川家が動き出したことで、信玄も否応なく武田家の惣領としての現実に引き戻される。
 ところが、失意の蟄居(ちっきょ)から脱し、政務に復帰した直後に届いた「討死}の知らせだった。
 ――いったい、何が起こったのか?……されど、いかなる不覚があったにせよ、義元殿がまことに身罷(みまか)ったのならば、東海道一帯の情勢は大きく変わる。当家には義信の正室という今川家の縁者もおり、われらも対処を誤らぬよう慎重に見極めねばならぬ。
 この一報は瞬く間に甲斐、信濃を駆け巡り、これまで北に向いていた武田家の眼は南に向けられた。
 信玄の命を受けた跡部(あとべ)信秋(のぶあき)は三ッ者(みつもの)を動員し、遠江、三河、尾張周辺の情報を探らせる。
 それらの報告により、次第に事情が明らかになった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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