第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
それから、一人で義信の傅役(もりやく)、飯富虎昌のところへ向かう。
「兵部(ひょうぶ)、少し話せるか」
「もちろんにござりまする、典厩殿。いかがなされました?」
「実は、義信のことなのだ。このところ、少し気が昂(たか)ぶりすぎているとは思わぬか」
信繁の言葉に、飯富虎昌は微(かす)かに顔をしかめる。
「……そのことに、ござりまするか。確かに今川家の一件をお聞きになられ、若はかなり心を乱されておりました。……いや、正直に申せば、あまりの出来事に激昂(げきこう)なされ、それが未(いま)だ収まっておりませぬ。されど、それも致し方ないことかと。今川義元殿は若の御舅(ごしゅうと)にして当家にとって最も重要な盟友。そして、なによりも御方様の父君にござりまする。その大切な御身内を討ち取られ、怒りを滾らせぬ者はおりますまい。必ずや仇(かたき)を取ると、申されておりました」
「その通りかもしれぬ。されど、義信は仇討(あだう)ち以上に重きものを背負うているのではないか」
信繁はまっすぐに傅役を見つめる。
「武田家と郎党、一門の者すべてを守らねばならぬ惣領となる身なのだ。しかも同盟があるのならば、その盟友の一門に対しても責が生じる。さような立場である以上、完全に私情を殺して沙汰を下さねばならぬ時も訪れよう。そうした局面で平静を保つためには、日頃から己の感情を御す訓練をしておかねばならぬと思うのだが」
「確かに、仰せの通りかと。されど、若の年齢をお考えくだされ。御せぬ激情のまま荒ぶることもありましょう。されど、それこそが臆病者ではない証左なのでは」
「蛮勇と果断は、別のものだ。義信は己の気性の荒さを自覚し、それを抑える術(すべ)を学んでおかねばならぬ。次なる惣領となる定めを持った者に、年齢などは言訳にならぬ。兄上もそうであった。それほど義信に対する期待が大きいということだ」
その正論を聞き、飯富虎昌は項垂(うなだ)れる。
「……わかりました。折を見て、それがしからも話をいたしましょう。されど、ひとつだけ、お訊ねしてもよろしかろうか?」
「なんであろうか?」
「若が典厩殿に喰い下がったことで、不快になられましたか?」
「いや、そういうことではない。逆に、本音をぶつけてくれて、嬉しく思うた。義信が申したことは、確かに的を射ていたし、気持ちは痛いほどわかっている。されど、気が急いていたとしても、あれをいきなりあの場で、家臣たちを前にして申すべきではなかった。この身への直談判ならば、何の問題もなかったと思うのだが」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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