よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 本隊を率いた今川義元は悠々と東海道を西へ進み、五月十四日に三河国岡崎(おかざき)に入る。ここには今川の先陣大将を務めた松平(まつだいら)元康(もとやす/後の徳川〈とくがわ〉家康〈いえやす〉)の本城があった。
 さらに十七日には東海道から鎌倉往還(かまくらおうかん)へ進み、尾張国愛知(あいち)郡の池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)へ到着する。それから、尾張攻略の足場とする沓掛(くつかけ)城に入った。
 沓掛の地は、北方の長久手(ながくて)や岩崎(いわさき)からの街道と鎌倉往還が交差し、愛知郡における交通の要衝となっている。
 ここまでは実に順調な行軍のようであった。
 そして、翌々日の十九日、沓掛城を出立した義元の本隊は鎌倉往還から大高(おおたか)道を使って大高城へ向かったらしい。
 その途中に桶狭間と呼ばれる一帯があった。
「地の者に訊いても、その正確な位置は明らかではなく、知多(ちた)郡の桶廻間(おけはざま)村の周辺に桶狭間山といくつかの丘陵があり、その麓を大高道が通っているとのこと」
 跡部信秋が地図を示しながら地勢を説明する。
「桶狭間山と丘陵地帯の中間にあるため、田楽狭間と呼んでいる者もありました。何やら、曖昧な地名にござりまする。されど、確かに、その近くには織田勢が足場とする中嶋砦(なかじまとりで)がありまする」
「桶狭間、面妖な響きだな」
 信玄が眉をひそめる。
「御屋形(おやかた)様、義元殿の本隊が動く前に、今川勢の先陣はそれなりの戦果を上げていたようにござりまする」
 駒井高白斎の話によれば、本隊に先発し、松平元康と朝比奈(あさひな)泰朝(やすとも)の先陣隊が、織田方の拠点である丸根(まるね)砦と鷲津(わしづ)砦に攻撃をかけていた。
 今川勢の先鋒(せんぽう)となった松平隊は丸根砦に猛攻を仕掛け、敵方五百余りと斬り結び、織田方の大将、佐久間(さくま)盛重(もりしげ)を討ち取った。
 朝比奈泰朝が攻めかけた鷲津砦は籠城を試みるが、飯尾(いいお)定宗(さだむね)と織田秀敏(ひでとし)を討死させ、この拠点を潰滅させる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number