第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
こうして今川勢の先陣が大高城周辺の制圧を終えたことを確認し、義元率いる本隊が沓掛城を出発、大高城の方面に向かって西に進んでから進路を南に変えていた。
ここまで聞いた限りにおいては、実に順調な進軍だった。
「大高城への途上で午時(ひるどき)となり、義元殿は桶狭間と呼ばれる場所を休憩地として選んだようにござりまする。それが桶狭間山の上なのか、その麓なのかは定かではありませぬ。何やら空模様も怪しく、雷が鳴り始め、雨を避ける目的があったとも聞いておりまする。されど、その桶狭間で義元殿に異変があったようで……」
跡部信秋が次の言葉を言い淀む。
「構わぬ、伊賀守。続けよ」
信玄に促され、信秋が話を再開する。
「昼餉(ひるげ)の時に、義元殿が先陣の戦勝祝いとして御酒を召し上がられたようで、行軍を再開なされようとした時に落馬しかけたのではないかと」
「戦場で、酩酊(めいてい)してか!?」
「……どうやら、さようなことがあったらしく、旗本衆が大事を取って愛駒から輿(こし)に乗り換えさせたと。その後、急に雨が降り出し、それが四半刻(三十分)もせぬうちに視界を妨げるほどの豪雨となったため、桶狭間にて足を止めたところを二千余の織田勢に奇襲されてしまったのではないかと」
「織田信長にしてみれば、どこかで乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負を仕掛け、義元殿の首級でも狙わねば、とうてい勝目のない戦であったのだろう。されど、そう考えるのと、実際に二万余の軍勢の中にいる総大将を針の穴を通すように狙えるかどうかは別だ。義元殿に運がなかったのか、それとも蛮勇をふるった信長とやらに鬼神が微笑んだのか……」
信玄は腕組みをして眼を瞑(つぶ)る。
「……だいたいの状況は理解できた。ご苦労であった、二人とも下がってよいぞ」
「御意!」
跡部信秋と駒井高白斎が退室した。
――義元殿の油断、あるいは慢心があったにせよ、あまりに無念な結果である。これが戦の恐ろしさよ。されど、どうやら盟友が討死したという事実に間違いはないようだ。感傷に耽(ふけ)る暇はない。次の一手を見据えねば。
信玄は眼を開き、大きく溜息をついた。
どこか遠くから、今川義元の無念の叫びが聞こえてきたような気がしたからだ。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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