よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  三十八(承前)

 大鎧(おおよろい)を身に纏った室住(むろずみ)虎光(とらみつ)があえて最前列に立ち、佩刀(はいとう)を抜き放って足軽衆を鼓舞する。
「皆の者、臆せず進め! 大楯(おおたて)があれば、村上(むらかみ)のへなちょこ矢など当たらぬ!」
 その気勢を受けた大楯隊が大将を守るべく一気に前へ出た。
 国分寺(こくぶんじ)の入口まで不規則に並べられた逆茂木(さかもぎ)を排除するために素早く進む。足軽隊が最初の場所に到達するやいなや、信方(のぶかた)が大声を発する。
「射かけよ!」
 騎馬隊の弓箭手(きゅうせんしゅ)が遠矢を放つ。
 夥(おびただ)しい数の矢が足軽隊の頭上を遥(はる)かに越え、逆茂木の奥にある馬防柵(ばぼうさく)の向こう側に降り注ぐ。これは逆茂木を動かそうとする足軽たちへの援護であり、敵に当たろうが当たるまいが構わないという勢いで射かけ続けた。  
 援護を受けた足軽は数名の組になって逆茂木にとりつき、力任せに移動させていく。この後、騎馬隊が通れる三間(五・四b)ほどの通路を確保するためだった。
 それが終わると、再び大楯の隊列を組む。国分寺の入口に立てられた馬防柵を倒すために進むと、敵陣と思しき建屋の形が見えてくる。
 国分寺は、天平(てんぴょう)十三年(七四一)に聖武(しょうむ)天皇が仏教弘流(ぐりゅう)による国家鎮護のために一国一寺の建立を命じたものであり、その正称を金光明(こんこうみょう)四天王(してんのう)護国之寺(ごこくのてら)という。
 そうした使命も持っているだけに、建立地の条件は厳格を極め、国華として仰ぎ見るのによい地形を選び、国府に近く水害のない長久安穏の場所に南面向きの六町(六四八b)四方で地割を行うと定められた。
 そこに造られた建屋は金堂を中心とした伽藍(がらん)と壮麗な塔頭(たっちゅう)で構成されており、これらが敵陣となるか、自陣となるかで、戦(いくさ)の先行きはまったく違った様相となる。
 それだけに先陣先鋒(せんぽう)の足軽たちは必死の形相だった。
 騎馬隊が放つ遠矢の援護を信じ、数十名の足軽が得物(えもの)を捨て、両手で馬防柵に取り付く。
 それを力任せに大きく揺すり、体重をかけて押し倒した。
 敵の防御に一穴が穿(うが)たれ、そこに新たな道ができる。
 すかさず大楯足軽が国分寺南大門に向かい、槍(やり)足軽隊が進んだ。
「でかしたぞ! このまま一気に雪崩(なだ)れこめ!」
 室住虎光も槍を片手に走り出す。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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