よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 一方、僧寺金堂へ入った晴信は、すぐさま陣馬奉行の加藤(かとう)信邦(のぶくに)、補佐役の信繁(のぶしげ)、原(はら)昌胤(まさたね)を呼ぶ。
「信邦、そなたらで陣内の検分を頼む。まず、番兵の配置は入念に」
「はっ!」
「薪(たきぎ)がもったいないゆえ捨篝(すてかがり)はなるべく少なくし、兵たちが暖を取るための焚火(たきび)に使ってくれ。その火を利用し、兵食は温かい汁などを加え、充分に取らせたい。ただし、酒はあまり吞ませるな。夜襲に備えねばならぬ。兵たちの宿所は僧房か?」
「さようにござりまする」
「きちんと休めるように、休息の割振りをはっきりと定めよ。宿所が足りなければ、尼寺の講堂を使うてもよいぞ」
「承知いたしました」
「何か確認しておきたいことはあるか?」
「いいえ、特段ござりませぬ」
 加藤信邦の答えに合わせ、信繁と原昌胤も頷(うなず)く。
「さようか。では、頼んだ」
「御意!」
 三人は検分に走った。 
 素早く命を下した後、晴信は総大将の室へ入り、床几(しょうぎ)に腰掛ける。
 ――ここに至り、やっと心気が目覚めたような気がする。もう余計なことは考えぬ。眼前の戦いだけに集中だ。
 気の昂(たか)ぶりは感じていたが、頭の芯はしっかりと冷めていた。
 敵地に本陣を構え、やっと戦に対する集中力が増してきた。
 ――この後の評定で当面の方針を固めねばならぬ。敵の出方を見るか、それとも、あっさり退いた敵の先陣を追い詰めるか……。
 晴信は眼を瞑(つぶ)り、思案を巡らせる。
 そのようにして一刻(二時間)ほど一人で過ごした。
 尼寺の金堂では、信方が甘利虎泰、室住虎光、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)らと協議を行っていた。
「われら先陣としての考えを、この後の評定で述べねばならぬ。跡部、逃げた敵兵どもの行先はやはり科野(しなの)総社と見るべきか?」
「ただいま総社の周辺を調べさせておりますが、評定までに報告が間に合うかどうか、ぎりぎりのところかもしれませぬ……。されど、次なる要所は間違いなく科野総社だと思いまする」
 跡部信秋の答えに、甘利虎泰が反応する。
「敵がまとまって総社に入っているならば、先陣のわれらが攻め取ればよいが、もしも空だった場合はどういたしまするか。先陣の兵を割き、そこに入れるべきかどうかは微妙なところではありませぬか」
「確かにな……」
 信方が眼を細めて思案する。
「……敵の数を減らしてから陣を奪うのと、ただ兵を割いて拠点を増やすのは、まったく別のことだ。中途半端な兵を配して、まとまった敵に攻め寄せられたならば、逆に危なくなる。やはり、敵兵の有無を確かめてから動くべきか」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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