よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   六十八

 八月二十三日の早朝、緋糸縅白檀大札胴(ひいとおどしびゃくだんおおざねどう)の大鎧(おおよろい)に身を包んだ信玄は、総勢二万余を引き連れて上田原(うえだはら)を出立する。
 武田勢の本隊はそのまま室賀(むろが)峠を越え、麻績(おみ)の青柳(あおやぎ)城へ入り、ここで一泊した。
 翌朝、青柳城を出立し、善光寺道(ぜんこうじみち)を北上し始めた。
 この善光寺道は別名を北国(ほっこく)西往還とも呼ばれ、東山道(とうさんどう)からの分岐点となる南の洗馬(せば)宿から北端の善光寺門前町まで続いている。深志(ふかし)城のある松本平(まつもとだいら)から川中島(かわなかじま)を縦断して善光寺平へと至る武田勢の要路だった。
 そして、さらに北へ行けば、上杉(うえすぎ)政虎(まさとら)の本城がある越後(えちご)の直江津(なおえつ)まで出ることができた。
 善光寺道には宿場町と間宿(あいのしゅく)が点在し、普段は善光寺参りに出かける人々や背負子(しょいこ)で大きな葛籠(つづら)を運ぶ歩荷(ぼっか)、両脇に俵包みを下げた信州中馬(しんしゅうちゅうま)をひく馬子(まご)などが行き交っている。
 間宿とは、旅籠(はたご)のある宿場町の間隔が遠い場合に、休憩のとれる茶店や飯処(めしどころ)だけが設けられた里のことをいう。
 しかし、数日前から善光寺平に越後勢が布陣したと知ってか、善光寺道を行く人の姿はほとんどなかった。
 無人の街道を、武田勢の本隊が悠々と進軍し、稲荷山(いなりやま)の宿場を越え、川中島への入口となる篠ノ井追分(しののいおいわけ)へと至る。ここは追分の名の通り、北国街道と合流する交通の要衝であり、善光寺道の間宿だった。
 篠ノ井へと入った途端、辺りの気配が一変する。
 ――麻績と同じはずの大気が、かなり強ばっている……。
 信玄はその変化を鋭く感じ取っていた。
 進軍方向の右手側、東の方角に山岳が連なり、その一角に妻女山(さいじょさん/齋場山)がある。
 見るまいとしても、自然と瞳がそちらに吸い寄せられ、千曲川(ちくまがわ)の向こう側、さほど高くない山一帯に夥(おびただ)しい旗幟(きし)が翻っていた。
 ――あれが越後勢の陣か。
 篠ノ井追分を過ぎてから、信玄はあえて行軍の速度を落とす。まるで敵に己の姿を見せつけるような進み方だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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