よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「まっすぐ……」
「ついでに、先陣を希望する話も切り出してみればよいのではないか」
「はぁ……」
「心配するな。ちゃんと聞いてくださるよ」
「わかりました。ご助言ありがとうござりまする、叔父上。この戦が終わりましたら、父上と話をしてみまする」
「ああ、それがよい。とにかく、今は眼前の敵に集中しよう」
「わかりました。それでは失礼いたしまする」
 義信は一礼してから旗本の陣へ戻っていった。
 ――義信は義信なりに、兄として四郎のことを気にかけているのだな。もう少し二人が打ち解けられるよう、兄上とも話をしておいた方がよいかもしれぬな。
 信繁は甥の後姿を見ながら、そう思っていた。
 すでに夕陽は山影へ沈み、辺りは藍色の闇に包まれている。唯一、視界の中では敵陣の篝火だけが万灯会の如く浮き上がっていた。
 その宵闇に紛れるように、茶臼山の麓から騎馬武者たちが走り出す。
 敵陣には眼もくれず、海津城のある方角に向かって疾風の如く駆けてゆく。いずれも黒ずくめの鎧兜(よろいかぶと)を身につけ、背には摩利支天(まりしてん)の旗指物(はたさしもの)を背負っていた。
 騎馬の一隊は寺尾(てらお)の渡しを越え、城の追手門(おうてもん)へ向かっていく。
 門の正面には半円形の的土(あづち)が盛られ、その前に三日月型の堀が切られている。虎口(ここう)の外側で敵の侵入を防ぎ、城から敵を追走する時に自軍の騎馬だけを出やすくする丸馬出(まるうまだし)の構えだった。
 通常の城では角(かく)馬出や辻(つじ)馬出という四角い土塁(どるい)を造るのだが、信玄はなぜか角馬出を嫌い、丸馬出を好んでいる。それゆえ、武田方の城はほとんどが丸馬出の縄張りがなされており、これが甲州(こうしゅう)流築城術の特徴ともなっていた。
 武者たちは丸馬出の脇で馬を止め、中央の一人が門の前へ進み出る。
「菅助じゃ! 開門せよ!」
 そう叫んだ漢は、この海津城を縄張りした隻眼(せきがん)の老将、山本菅助だった。
 剛毛の髭面にぎょろりとした右眼を見開いているが、左眼は真っ黒な眼帯で覆われ、猫背に加えて猪首(いくび)なので、丸めた背中が瘤(こぶ)のように見える。
 そして、風貌に劣らぬ異様な気を全身から発していた。
 その姿を確認した門番は、慌てて扉を開く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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