第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
一列に並んだ騎馬が次々と海津城の中へと入っていき、味方を呑み込んだ門は再び固く閉ざされた。
二の曲輪(くるわ)で馬を下りた菅助は、本曲輪に向かって歩き始めるが、心なしか左足を引きずっていた。
そこへ城将の香坂(こうさか)昌信(まさのぶ)が迎えに出てくる。
「道鬼斎(どうきさい)殿!」
昌信は菅助を道号で呼ぶ。
二年前に信玄が入道して法名を名乗り始めた時、菅助も主君にならって出家し、道鬼斎という道号を使うようになっている。
「おお、昌信殿」
「お越しを待ちわびておりました」
安堵(あんど)の溜息を漏らすように言った香坂昌信の頰がげっそりとこけている。
菅助は若き城将の顔から蓄積された不安を読みとった。
――眼の下に、どす黒い隅(くま)ができている……。たった九日間でありながら、籠城のやつれが面相に出ておるわ。御屋形様自慢の美丈夫もかたなしじゃ。まあ、眼の上のたんこぶが、あの長尾景虎では致し方ないかもしれぬが……。
二人は本曲輪の殿守(てんしゅ)に入り、人払いをして話を始める。
「昌信殿、ずいぶんとお疲れのようじゃ。されど、もう大丈夫だ」
菅助が労(ねぎら)うように微笑む。
「実は越後勢が妻女山に布陣してから、ほとんど寝ておりませぬ」
香坂昌信は端正な顔をしかめ、正直に心境を吐露する。
「正直に申せば、御屋形様がこちらへ参られるまで、生きた心地がいたしませなんだ」
「ほう、ほう。毘沙門天王(びしゃもんてんのう)の威光は、さほどに眩(まぶ)しかったか」
「道鬼斎殿、お戯れはおよしくだされ」
「いやいや、かの者は自ら毘沙門天王の名を騙(かた)っておるので、それなりの後光でも射しており、それが眩しくて夜も眠れぬのかと思うたのだが」
とぼけた口調で異形の老将がからかう。
「まったく、道鬼斎殿には敵(かな)いませぬ」
昌信は苦笑を浮かべて頭を搔く。
この若き城将は海津城の修築に関わり、その時から異形の老将を密かに師と慕っていた。
菅助はこの年で齢六十九となり、齢三十五の昌信とは三回りほども歳が離れている。
しかし、菅助は俸禄(ほうろく)八百貫で足軽七十五人持ちの大将にすぎないが、昌信は倍の俸禄を貰(もら)う百五十騎持ちの侍大将であり、こうして城も預けられるほど信玄から将来を嘱望されていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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