よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「その後、何事もなかったように軍を進め、矢代の渡しへと回り込みました。陽が暮れると、突如として妻女山の頂きに煌々(こうこう)と篝火が焚かれ、平家琵琶(へいけびわ)の音が流れてきました。その時、われらは初めて、景虎が妻女山に登って海津城の背後に回り込んだことを知りましてござりまする。まったく、あの音色を聞いた時は、背筋がぞわりといたしました。まるで、明日はお前の城を攻めるぞと言わんばかりに、夜半過ぎまで琵琶の音が響いておりました。われらは善光寺の越後勢と景虎の本隊に挟撃されることに気づき、その晩、城内の者と盃(さかずき)を交わして覚悟をいたしました。翌日の払暁から松代(まつしろ)の里を地焼きし、最後の一兵になるまで籠城をいたすと敵方に宣言いたしましたが、それから越後勢は動かず、毎夜にわたり山頂から琵琶の音が聞こえ、いつ景虎が攻めてくるのかと眠れなくなった次第にござりまする」
「なるほど。使番(つかいばん)の報告でざっとは聞いていたが、こうして子細がわかると、実に手のこんだ威(おど)しじゃな。かようなことは訊ねるべきではないのだが、二人の仲ゆえ、あえてお訊きしたい。もしも、景虎が攻め寄せていたならば、どのくらい持ちこたえる肚づもりでおられた?」
 歯に衣(きぬ)着せぬ老将の問いに、若き城将は渋い表情でしばらく思案する。
「……三日。……いや、丸二日ほどか。……正直に申せば、退路を断たれ、善光寺の越後勢も加わって総軍で一気に攻め寄せられたならば、丸一昼夜持ちこたえられたかどうか……。それゆえ、城内の皆と別れの盃を……」
 それだけを答え、昌信は沈鬱な面持ちで黙り込む。
「さすがは昌信殿!」
 菅助は若き将の肩を叩(たた)き、満面の笑みを浮かべた。
 その髭面を、若き城将は狐(きつね)につままれたような顔で見ている。
「全滅覚悟で武田の意地を見せることは考えても、城を捨て、一足先に裏の隠し道から退却することを考えなかったとはさすがじゃ。昌信殿、あっぱれ、あっぱれ!」
 老将の真意を聞き、昌信の顔にも少し明るさが戻る。
「退却のことを微塵も考えなかったと申せば、嘘になりまする。されど、この城は御屋形様の肝入りで普請された善光寺平の要城(かなめじろ)にござりまする。それを預かった以上、無傷で敵に渡すことはできぬと考えました。それに道鬼斎殿が縄張りした大事な城ではありませぬか。そこから易々と逃げ出せば、己が惚れ込んだ築城術を自ら捨て去ることにもなりまする」
「いやいや、わが築城術など、さほどのものではあり申さぬ。御屋形様のお好みのままに城を造って差し上げるため、ただ地面を這(は)いずり回っただけのこと。儂(わし)がこの城を預かって、同じように景虎から攻められたならば、半日と持たなかったであろうて。ゆえに、妻女山へ布陣された刹那、さっさと頰被りをして逃げていたかもしれぬ」
 そう言ってから、菅助は豪快に笑う。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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