よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 跡部信秋が一枚の図を差し出す。
 それを手に取り、信玄が眼を走らせる。
 そこには妻女山付近の地勢が描かれ、越後勢の陣立が記されていた。 
「この妻女山の頂上には、古(いにしえ)よりの円墳墓がありまして、そこら一帯が御陵願塚(ごりょうがんづか/龍眼平〈りょうがんだいら〉)と呼ばれておりまする。景虎はここを本陣としており、そこから麓に向かって五つ手の陣が布(し)かれているようにござりまする。海津(かいづ)城に最も近い赤坂山(あかさかやま)の下に一の手があり、景虎の家宰(かさい)、直江(なおえ)景綱(かげつな)が守っており、その南東側の清野出埼(きよのでさい)から月夜平(つきよだいら/物見場)まで甘粕(あまかす)景持(かげもち)の守る二の手がありまする」
 陣立図を指しながら、信秋が説明を続ける。
「千曲川の浅瀬、岩野(いわの)の十二川原(じゅうにがわら)に三の手が置かれ、ここには越後勢の最古参、宇佐見(うさみ)定満(さだみつ)がおり、その隣の土口笹崎(どぐちささざき)、四の手を柿崎(かきざき)景家(かげいえ)が守っておりまする。この二つの陣は明らかに千曲川の渡しを睨んだものかと。屋代生萱(やしろいきがや)の雨宮坐(あめのみやにます)日吉(ひよし)神社には五の手、われらが仇(かたき)、死に損ないの村上(むらかみ)義清(よしきよ)がおりまする」
「よくわかった」
「妻女山の背後にあります鞍骨山(くらぼねやま)まで透破を行かせましたが、尾根に伏兵が潜んでいる気配はないとのこと。されど、天城山(てしろやま)から鞍骨山まで続く尾根には、何やら忍び返しらしき仕掛けもあるらしく、敵の軒猿が徘徊(はいかい)していることは間違いありますまい。かような陣立で山間(やまあい)に居座れば、敵方が急に動くのは難しいと思いまする。いったい何を狙っての布陣なのか、今ひとつ判然といたしませぬ」
「この絵図を各将に配り、次の評定(ひょうじょう)に備えよと伝えてくれ」
「承知いたしました」
 跡部信秋は一礼し、手配りに走った。
 西の空に夕映えだけが残り、静かに宵闇(よいやみ)が下りてくる。
 そこに若々しい声が響く。
「御屋形様、失礼いたしまする」
 信玄が振り向くと、奥近習(おくきんじゅう)の真田(さなだ)昌幸(まさゆき)が松明(たいまつ)を手に片膝をついている。
「種火をお持ちいたしました。篝籠(かがりかご)に火を入れてもよろしいでありましょうか?」
「うむ」
 信玄は短く頷(うなず)いた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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