第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
真田昌幸は機敏な動きで篝籠に火を入れてゆき、辺りに薪(たきぎ)の爆(は)ぜる音が響き始めた。
眼下の自陣にも点々と篝火が灯(とも)され、やがて陣外まで大きく広がってゆく。
陣の外に焚(た)かれる灯(あか)りは捨篝(すてかがり)と呼ばれ、敵の接近を牽制(けんせい)しつつ、陣容を大きく見せるための仕掛けだった。
「源五郎(げんごろう)」
信玄の呼びかけに、真田昌幸が足を止める。
「……はい」
「そなた、確か、こたびが初陣(ういじん)であったな」
「はい、さようにござりまする」
「孫次郎(まごじろう)も同様に初陣か」
信玄は昌幸の先輩である曾根(そね)昌世(まさただ)のことを言っていた。
「はい」
「怖いか?」
主君の問いに、奥近習は首を竦(すく)めて思案する。
「……こ、怖いのかどうか、まだ、実感がありませぬ。……ただ、緊張しておりまする」
「さようか。戦場(いくさば)での怖れは、恥ずかしいものではない。命を無駄にせぬため、正しく怖れることが大事なのだ」
「……は、はい。肝に銘じておきまする」
「その上で、いざという時は肝を据え、怖れを振り払って素早く動け」
「わかりました!」
「孫次郎にも、さように伝えよ」
「はっ! 失礼いたしまする」
真田昌幸は深々と頭を下げてから踵(きびす)を返した。
一人になった信玄は再び前方に目を凝らす。
妻女山にも篝火が灯り始めており、その連なりと先ほどの陣立図を見比べる。
灯りが増えるたびに相手の陣がはっきりとした形になり、麓から本陣と思(おぼ)しき頂上へ攻め登るのはいかにも難しそうに見えた。
――おそらく、下から攻め登るつもりならば、相当の犠牲を覚悟しなければ、妻女山の頂上へは到達せぬであろう。思った通り、雨宮の渡しへ布陣するのは下策となったであろう。もしも、千曲川を挟んで自陣を築き、万灯会(まんどうえ)を見上げるが如(ごと)く越後勢の陣を拝まされたならば、さぞかし癪(しゃく)に障(さわ)ったはずだ。やはり、ここに布陣したのは正着(せいちゃく)であった。今頃、景虎も眼を皿のようにして、われらが陣立を読もうとしているであろう。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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