よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「なんだ、兵部。おいしい処(ところ)を独り占めか」
「たかが一騎打ち、御大(おんたい)が出張るまでもありますまい」
 そう言った飯富虎昌と室住虎光が顔を見合わせて笑った。
「戯(たわむ)れはさておき、こたびの戦は厄介なことになりそうな気がする。かれこれ五十年近くも戦場に立ってきたが、これほど訳のわからぬ敵は初めてだ」
 急に真剣な面持ちになり、老将が呟(つぶや)く。
「さすがの御屋形様も少し戸惑うておられるのではありますまいか。すでに難しい戦になっていることは間違いありませぬ」
 家中一の武辺者も厳しい顔つきになる。
「真田や菅助あたりがいかように考えておるのか、確かめておいた方が良さそうであるな」
「次の評定の前に訊いておきまする」
「とにかく、村上とはこたびで必ず決着をつけてくれようぞ」
 室住虎光の言葉に、飯富虎昌は深く頷いた。
 同じ頃、茶臼山の麓では、先陣大将の武田信繁が周囲を警戒していた。
 そこに甥(おい)の義信(よしのぶ)がやって来る。
「叔父上、ご苦労様にござりまする」
「義信か。旗本は落ち着いたのか?」
「はい、陣の設営を終え、夕餉(ゆうげ)の支度を始めておりまする」
「さようか。義信、そなたは越後の陣立をどう見る?」
 信繁が妻女山を見上げる。
「思っていたよりも大仰な陣を布いているかと。こうして正面から眺めてみると、父上が仰せになられた通り、麓から攻め登るのは下策のように思えまする」
「であるな」
 信繁は甥の答えを聞き、満足そうに頷く。
「されど、あの山に陣取りながら、なにゆえ海津城に一触もせぬのか、それだけは解せませぬ」
 義信が小首を傾(かし)げる。
「われらが川中島へ入った以上、その理由はすぐ明かになる」
「こたびの戦、この身は叔父上と一緒に先陣で戦いとうござりまする」
 義信は真剣な眼差しで言った。
 信玄が総大将として戦場に出張る時は、最も信頼の置ける弟の信繁が最も苛烈(かれつ)な先陣を担っている。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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