よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 身分としては若い昌信の方が上になるのだが、菅助の持つ独自の兵法や築城術に心酔している。特にこの漢が普請奉行を務めた海津城に入ってからは、その実力を直(じか)に体感させられ、昌信はいっそう異形の老将に惹かれた。
 菅助も昌信の才をかっており、己が実戦を経て習得してきた智慧(ちえ)を惜しみなく与えている。
 異形の老将と匂い立つが如き美男の若き将。姿形は対照的だったが、年齢の差を超えて二人は互いを認め合っており、武田の家中ではとりわけ仲が良かった。
「戯言(ざれごと)はさておき、われらが着陣するまで、越後の者どもはいったい何をしておったのだ。これまでのことを詳しくお聞かせ願えぬか、昌信殿」
「わかりました。どこから、お話しいたしましょうや?」
「善光寺に敵方が着陣いたしたのは、確か望月(もちづき/十五日)の頃だったと思うが、それから、景虎はいかように動いたのであろうか」
「翌日の払暁には越後勢の本隊が犀川を渡り、われらに軍容を見せつけるが如く八幡原(はちまんばら)を横切りました。実際、それがしは櫓(やぐら)の上から様子を窺っておりましたが、この行軍からしてすでに尋常ではなかったように思いまする」
「どの辺りが尋常ではなかったのであろうか?」
「おそらく、景虎が先頭で軍勢を率いておりました」
「総大将が、先頭で?  まさか、さような行軍はあり得ぬが……」
「いえ、たぶん間違いありませぬ。善光寺に忍ばせておきました間者(かんじゃ)が、景虎は放生月毛(ほうしょうつきげ)の愛駒に真紅の胸懸(むながい)と鞦(しりがい)を下げ、自らは紺絲緘(こんいとおどし)の当世具足に萌黄緞子(もえぎどんす)の胴肩衣(どうかたぎぬ)を羽織り、兜の上に白妙(しろたえ)の練絹(ねりぎぬ)で行人包(ぎょうにんづつみ)にしていると申しておりました。それがしは櫓から遠目の利く者と敵方の行軍を見ておりましたが、確かに先頭にはまったく同じ装束の者がおりました」
「影武者では?」
「影武者ではなかろうと思いまする。その行人包は八幡原の真ん中で右手を挙げ、総軍を止めておりまする。それから、われらが城の方角に馬首を向け、すぐ隣にいた鬼柄者(おにがらもの)に馬標(うまじるし)を振らせました。その標が、紺地に真紅の日の丸の入った大扇でありましたゆえ、鬼小島(おにこじま)のものだと思いまする。ならば、景虎を守る剛力の旗本衆に違いなく、放生月毛に跨った行人包も本人だったのでありましょう。その証左に、続いて後続の馬標も一斉に振られ、われらを嘲笑うが如く法螺貝(ほらがい)が吹き鳴らされ、総軍から鬨(とき)の声が上がっておりました」
「総大将が先頭で敵城を挑発とな……。人を小馬鹿にするにもほどがある」
 さすがの菅助も腕組みをして眉をひそめる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number