よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 そのあっけらかんとした所作につられ、昌信も思わず微かな笑みをこぼした。
「されど、道鬼斎殿。なにゆえ、景虎は今日までこの城を攻めなかったと思いまするか?」
「それは儂にも、まだ見当がつかぬ。しかれども、御屋形様だけは、景虎が海津城を攻めぬと確信なされていたような節がある」
「なにゆえ、さような確信を……」
「城だけを攻めるつもりならば、景虎が直々に出張ってこぬと申されたのじゃ。されど、本人が妻女山へ布陣したからには、城を攻めるぞと脅しをかけながら御屋形様を誘っているのではないかという読みだったらしい。つまり、武田の本隊が川中島に現れるまで、景虎は城を攻めぬ、と」
「……それがしのような凡人には到底、さような読みは理解ができませぬ。それゆえ、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館からの使いが参り、御屋形様の御着陣が二十四日あたりになると伝えられた時は、正直、城ごと捨石にされたのかもしれぬという思いが脳裡をよぎりました」
「見捨てられるわけがありますまい。御屋形様は、かように申されておった。昌信は読みも辛(から)く、見切りも早いゆえ、本当に危なくなれば城を捨石にしてでも余のもとへ戻ってこられる漢だと」
「まことにござりまするか?」
「本当じゃ。囲碁の手合を通して気性から思惑まで、すべてがわかるとも申されておった」
「はぁ……」
 昌信は溜息をもらし、意味もなく両手でごしごしと顔を拭う。
 それから、ほっとしたような表情で訊く。
「ところで道鬼斎殿。逆にお訊ねしたいのだが、なにゆえ、御屋形様は海津城へ入らずに茶臼山などに登られたのでありましょうや?」
「それは御主(おぬし)の方がよくわかっておるのではないか。わしの苦手な囲碁の、ほれ、何とかいう……」
「囲碁の?」
「ほれ、あれじゃ、相手と同じ形の手を打つ……」
「ああ、真似碁(まねご)の布石にござりまするか?」
「さよう、それじゃ」
「なるほど。言われてみれば、まさにそうかもしれませぬ。しかも、互いに相手の本陣を挟み合っておる」
「それはいかなる意味であろうか?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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