第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「豊後殿、間尺に合わぬどころではない。堪忍ならぬ!」
虎昌が吐き捨てる。
「それほど腹が立つことをわかっていながら、なにゆえ黙って御屋形様の策に従うた?」
「御屋形様が仰せの通り、まだ、その時ではないかと。されど、火だけは絶やさぬ」
「火?」
「さよう、村上義清を焼き尽くすための憤怒の業火(ごうか)。それをわが胸の裡から絶やさぬため、敵陣を眺めなければならないこの布陣に従い申した」
「なるほど。己を鼓舞するためか」
「鼓舞?……さように手ぬるいことはいたしませぬ。敵に対する塵(ちり)ほどの情けをも焼き捨てるため!」
飯富虎昌は拳を握りしめて声を張り上げる。
「のう、豊後殿。われらは仇敵を長く生かし過ぎたとは思いませぬか」
「……それを言われると、ちと耳が痛いの」
室住虎光は顔をしかめて頭を搔く。
「こたびこそは何がなんでも村上義清を生かして帰すわけにはいかぬ。すべての元凶は、あ奴にあるのだ。多くの同朋を失ったことも、川中島での戦が始まったことも、景虎が懲りずに幾度も出張ってくることも、すべての元凶が村上義清が生き残ったことにある。それを断ち切らねば」
「武田にとっての禍根を断ち切る、か……。確かに、そうでもせねば、いつまでたってもあの者たちの供養が終わらぬ」
この古兵(ふるつわもの)も同じ思いを抱いていた。
信玄に仕える古参の将にとって、上田原の一戦で多くの同朋を失ったことは実に深い傷跡となっている。
「村上の首がなくなれば、『北信濃(きたしなの)衆の旧領を回復してやるため』という景虎の屁理屈も同時になくなりまする。さすれば、善光寺平での不毛な戦いは、こたびをもって仕舞いとなるはず」
飯富虎昌は忌々(いまいま)しそうに吐き捨てる。
「ならば、遊山三昧(ゆさんざんまい)の酔狂な越後の大将に、長々と付き合うこともなかろうて。御屋形様にお許しをいただき、これより二人して村上義清の陣へ一騎打ちでも申し込みに行こうではないか」
室住虎光は飄々と言い放った。
「それは上策。されど、二人で行くまでもありませぬ。豊後殿が御屋形様にその策を具申し、承諾をもらっておいてくれるのならば、その間にそれがし一人で村上を仕留めてまいりまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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