よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  三十  

 まるで大蛇が蜷局(とぐろ)を巻くかの如(ごと)く、八万五千もの大軍が、武蔵(むさし)の河越(かわごえ)城を取り囲んでいた。
 辺り一帯に様々な紋の入った軍旗がはためき、甲冑(かっちゅう)の擦れ合う音が途切れることなく聞こえてくる。伝令のための騎馬が連なる陣所の間を慌ただしく駆け巡り、蹄音(あしおと)といななきが響く。
 この大軍勢は関東管領(かんれい)である山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲政(のりまさ)の呼びかけで集まった関八州(かんはっしゅう)の将兵だった。
 一方、河越城に籠城していたのは、わずか三千余の北条(ほうじょう)勢である。北条氏康(うじやす)の義弟である綱成(つなしげ)がこの絶望的な籠城を指揮し、すでの半年もの間、かろうじて耐えていた。
 そして、真田(さなだ)幸綱(ゆきつな)、のちの幸隆(ゆきたか)は関東管領の主力を担う箕輪(みのわ)衆の末席に加わっていた。
 箕輪衆の大将は長野(ながの)業正(なりまさ)であり、西上野(にしこうずけ)の名だたる武将たちを傘下に置いている。それに加え、上泉(かみいずみ)秀綱(ひでつな)が厩橋(まやばし)衆と呼ばれる東上野の武将たちを束ね、副将格として箕輪衆の陣で業正と席を並べていた。
 この夜、箕輪衆は定例の評定を開いた。
 しかし、評定とは形ばかりのもので、八万五千余の軍勢で三千ほどの城兵を威圧している陣中は、すでに戦(いくさ)が終わったかのような弛緩(しかん)した空気に包まれている。
「どうやら、本日、北条方から和睦の申入れがあったようだ。まだ、触れは出ておらぬが、氏康が古河(こが)公方殿に泣きつき、河越城と江戸城の引き渡しを条件に籠城している者どもの助命を嘆願してきたらしい」
 長野業正は幕内中央の床几(しょうぎ)に腰掛け、武将たちを見回す。
「氏康も必死なのであろう。今川(いまがわ)、武田と和睦したとはいえ、われら関東管領の大軍勢に、古河公方殿と扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)の軍勢までが加わったのでは、手も足も出まい。氏康は富士山麓から急ぎ兵を返し、使者が先駆けで古河公方殿の下に飛んできて和を請うておる」
 業正は上機嫌で顎髭をしごいた。
 その言葉を受け、国峯(くにみね)城主の小幡(おばた)憲重(のりしげ)が訊く。
「こちらに向かっている北条の軍勢は、どれぐらいの数かの?」
「一万五千、あるいは二万といったところであろう」
 家宰(かさい)の藤井(ふじい)友忠(ともただ)がその問いに答えた。
 一同の視線が長野家の宿老に集まる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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