連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 昨年の夏に疫病が広まった時、武田家は兵糧不足を解消しようと新たな徴発を行った。
 それに反撥し、村々で一揆が暴発する寸前にまで不満が高まったが、中でも笛吹の村が最も激しく抵抗した。
 信虎はそれに対して怒り狂い、見せしめのために村を焼き、村長をはじめとして反抗した者たちを処刑した。不満を抱いていた他の村々もそれを知り、鳴りを潜めた。
 この五人の農民は、焼かれた村落の生き残りだった。
 髭面は凄惨な処刑の様子を詳(つまび)らかに語り、その犠牲の中には女人や童までが含まれていたという。特に酷かったのは、信虎が身重の女人に行った残虐な仕打ちだった。
 徴発の命令に逆らい、罵詈雑言(ばりぞうごん)を投げつけた女を、信虎は「これは甲斐に住む領民ではなく、里に潜む鬼だ」と言い放ち、断首にしてしまった。
 それだけでは飽き足らず、「腹の中にも鬼の子がいるのであろう」と嘯き、こともあろうに腹を割いて胎児を取り出せと命じたという。さすがに、誰もが怖気づき、実行できる者はいなかったらしい。
 しかし、その風聞があっというまに広まり、他の村々が震え上がり、黙って命令に従うようになったのである。
「……身重の女(びく)まで首を刎(は)ねるとは、突拍子(ぶんき)もねえ。そっちの方が鬼ずら。そんで、おまんらが来たもんだから、また兵糧を差(つ)ん出(だ)せということと思ったずら。まだ掠め取るのけ? もう、わしらにかまうな!」
 髭面はついに哭(な)き出し、他の者も地面に突っ伏した。
 話を聞いた太郎は、青ざめたまま黙りこくっていた。父の所業がこれほど酷いものだとは、これまで知らなかったからだ。
「そなたらに危害を加えるつもりはなかったのだ。事情を知らなかったとはいえ、痛い目に遭わせて済まなかった」
 信方は小さく頭を下げる。
 五人の農民たちはその意外な行動を茫然と見上げていた。
「われらはここを去るゆえ、そなたらも鋤鍬を持って帰れ。もう仕事道具を得物に使うたりするな」
「……へえ。お許し、いただけるので?」
 髭面が上目遣いで信方に訊く。
「ほうだ、いま言ったとおりずら。国を守るためのことだから、あえて武田家がしたことに言訳(うてげえし)はしねえ。気が変わらんうちに、おまんらも早く行っちもえ」
 信方に促され、農民たちは鋤鍬を手に走り去った。
 その後姿を見ながら、太郎は奥歯を嚙みしめる。
「若、われらも館へ戻りましょう」
 信方は静かな口調で言う。
「……兵を募らなくてもよいのか?」
「かような有様では、無理にござりましょう。館へ戻り、われらだけで何とかする方法を考えるとしましょう」
「板垣がさように申すならば……」
「時には居直ることも必要にござりまする」
「わかった」
「まずは戻って腹拵(ごしら)え」
 信方にも、太郎が農民の話に衝撃を受け、さらに深く傷ついたことはわかっている。だが、あえて素知らぬ振りをし、さばさばと振る舞った。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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