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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)17 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……致し方ありませぬ。常に、辛抱せねばならぬ立場に置かれておりますゆえ」
「それだけではありませぬ」
 虎泰はさらに語気を強める。
「それがしが虎昌の後押しをするために、二番手で渡河することを申し出て、それを御屋形様にお許しいただきました。信繁様には少しお控えいただき、敵の先陣を打ち破った後に渡河をしていただく段取りとなっておりました。虎昌が脇目も振らずに突撃したため、対岸の敵がひるみ、最前線が崩れましたので、それがしは騎馬だけの小隊を率いて間髪を入れずに河を渡って敵の先陣大将がいる陣へ攻め入りました。この無謀な策がそれなりに功を奏し、われらは初手の優勢を築くことができましたが、問題はその後にござりまする。われらの優勢を見てとった土屋殿と武川(むかわ)衆が抜駆けし、河を渡りました。しかも、勝手に信繁様を伴ってにござりまする。事前の評定では、土屋殿が後詰を務めると決めたはずなのに、さも信繁様の采配があったかの如く抜駆けいたしました。それを見た青木殿も慌てて渡河し、戦場は大混乱となりました。運良く敵の先陣を破れたからよかったものの、あれはいただけませぬ。本来ならば、軍紀を乱した罪で処罰があってもおかしくなかったと思いまする」
 甘利虎泰は憤懣(ふんまん)やるかたないといった表情だった。 
「さようなことがあったのか」
 信方が腕組みをしながら唸(うな)る。
「駿河守殿、それがしからもよろしいか」
 飯富虎昌が口を添える。
「なんであるか」
「備前(びぜん)殿があえて申されませぬゆえ、それがしから申しますが、敵の先陣大将、海野(うんの)幸義(ゆきよし)に槍をつけ、討ち取る寸前であったのは、こちらの御方にござりまする」
 虎昌は右手で甘利虎泰を示す。
「一騎駆けにて敵兵を蹴散らし、海野幸義との一騎打ちに持ち込み、押しに押しまくっていた時、突然、備前殿が馬首を返されました。それがしは横目でその様を窺(うかが)っておりましたが、最初は何が起こったのかわかりませんでした。敵の先陣大将を討ち取る寸前に、いきなり後退なされたので。されど、その理由はすぐにわかりました。後方の乱戦の中、信繁様が渡河なされたからにござりまする。もちろん、武川衆の護衛は付き添っておりましたが、何分にも国分寺表は敵味方が入り乱れる戦場(いくさば)となっておりましたから不測の事態が起こらぬとも限りませぬ。それゆえ、すぐに馬首を返し、信繁様の下へ参じたのではありませぬか、備前殿?」
 飯富虎昌の問いに、甘利虎泰は俯く。
「……その通りだ」
「ということにござりまする、駿河守殿。この御方は背中にも眼を付けて戦をしておりますゆえ、土屋殿の抜駆けと信繁様の動きが見えていたのだと思いまする。備前殿が馬首を返された後、当然の如く武川衆が横槍を入れ、海野幸義を討ち取りました。これにより敵の先陣が総崩れとなり、われらは滋野(しげの)一統の本隊を追撃することになりました。偶然にも勝勢となりましたが、何とも無様な歪形(いびつなり)の戦となってしまいました」
 虎昌も俯き加減で盃を干す。
 ――家中における歪な関係が、そのまま歪形の戦を生んでしまったということか……。
 信方は気の毒に思いながら二人の後輩を見た。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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