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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)17 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……構いませぬ。お続け願いたい」
 どのような話が飛び出しても、信方は受け止める覚悟をすでにしていた。
「わかりました。ご存じの通り、それがしは持って回った話が苦手ゆえ、土屋昌遠殿にも直入にお訊ね申し上げました。晴信殿を一城主として信濃に留め置き、新府へは戻さないというのは、いったいいかなる意味であるか、と。そうしましたならば、土屋殿は『御屋形様の仰せは言葉通りに受け止めねばなりませぬ』とお答えになりました。その上で、すでに武田家の正式な御世継ぎは次男の信繁殿とお決めになっており、晴信殿はその助けをするために先方衆として信濃から動かさぬつもりだと。それを聞き、わが主も、それがしも耳を疑いました。それでは体裁だけを繕った廃嫡ではないか、と」
 雪斎の言葉が、信方の胸に突き刺さる。
 おそらく、そうなることを承知で歯に衣を着せぬ表現をしたのだろう。雪斎は、そういう漢だった。
「……まことに……まことに土屋殿はさように申しましたか」
「嘘は申しませぬ。それゆえ、隠し立てもしておりませぬ。次男の信繁殿が武田家の正式な御世継ぎになるという話は、家中にもお披露目された話にござりまするか?」
「……いいえ……少なくとも……それがしは聞かされておりませぬ」
 信方は虫酸(むしず)が走るように苦い言葉をこぼす。
「武田家では先の家宰であった荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)殿が隠居なされ、土屋殿が次の家宰になると申されていたが、それは確かにござりまするか?」
「いいえ……いや、そのような風向きになっていることは確かにござる。御屋形様が駿府に嚮導(きょうどう)した家臣を次の家宰にすると仰せになられましたゆえ、まだ決定ではないが、内定ということならば、その通りかと」
「なるほど、あの方が次なる武田家の家宰だと」
 そう呟きながら、雪斎は顔をしかめる。
「何か不都合でも?」
「いや、他家のことゆえ、あまり言いたくはありませぬが、土屋殿はわが主にはっきりと晴信殿の廃嫡を語っておりまする。家中の秘密、それも相続に関わることをあれほど軽々に口にする方が家臣を束ねても大丈夫なのかと思いまする。実際、わが主はその話を聞き、あからさまに不快な表情をなされておりました。当家も相続に関しては色々とありましたので、ご嫡男と思うていた盟友が廃嫡になるなどという話は聞きたくなかったのだと思いまする。わが主はすべての話を聞き終えた上で、それがしに『今川家にとっても、由々しき事態になっているようだ』と仰せになられました。そして、板垣殿にお会いしたいと願った、それがしに快く御裁可をくださりました。そのような訳で急ぎ、こちらへ参りました」
 雪斎の話がどこまで本当のことなのか、信方に確かめる術はなかった。
 しかし、信方はこの漢が嘘をついていないとしか思えない。ただし、信虎の話を伝えにきた真意は見えそうで見えなかった。
「……かたじけなし。……お話を聞かせていただき、そうとしか申せませぬ」
 信方は小さく頭を下げる。
「そう言っていただけると来た甲斐がありました。されど、これでは、まだ首級ひとつ分にしかなっておりませぬ。ここからはさらに肚を割り、板垣殿と話をせねば、もうひとつ分をお返しできませぬ」
「それは、どういう意味にござるか」
「これから板垣殿にわが主をはじめとする今川家の総意をお伝えいたしまする。それがしが話す事柄については、いかなる問いにも答えさせていただきまする。もちろん、それが義元様の御意向だと思うていただいて結構」
 太原雪斎はきっぱりと言い放つ。
 その顔を見つめながら、信方も奥歯を嚙みしめ、肚を据えた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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