どう答えても相手の思う壺のような気がし、信方は渋面で黙り込む。少し思案した上で、正直に答える道を選ぶ。 「……恥ずかしながら、初耳にござる」 「さようか。それはまた困ったことになり申した。信虎様は晴信殿を信濃の先方衆として小諸へ行かせ、さらに小笠原(おがさわら)のいる松本平(まつもとだいら)まで攻めたいと仰せになられた。信濃の地盤が固まれば年貢には事欠かないゆえ、借財はすぐに返せるとも。そういうことならばと、わが主はお答えしましたが、それがしは少し気懸かりがありましたので、確かな返答は先延ばしにさせていただきました」 「雪斎殿、そなたの気懸かりとは?」 信方は少し前のめりになりながら訊く。 「信虎様のお話を晴信殿とそなたがご承知なされているのかという疑問にござりました」 雪斎の返答は確信を衝(つ)いていた。 「さようなことを信虎様にお訊ねするわけにも参らず、やっとここに来て合点がいきました。晴信殿は小諸行きの話をご存じないということでよろしかろうか」 「……存じておらぬ」 「ふぅ」 雪斎が小さな溜息をつく。 「やはり、そうでありましたか。それがしは信虎様の独断で話が進められているのではないかと危惧しておりましたが、どうやら、その心配が当たってしもうたようにござりまするな。では、ここから本題に入らせていただきとうござりまする」 「本題?」 「さよう。もしも、晴信殿とそなたがご承知なされているのならば、そのまま納得して駿府へ帰ろうと思うておりました。何分にも他家の御相続に関する事柄ゆえ、無用な嘴(くちばし)を差し挟むことは差し控えたいと」 「相続!?……それはいったい、いかなる意味であろうか?」 少しむっとしたような口調で、信方が訊く。 「ここまでお話しした以上、すべてを包み隠さず申し上げまする。それが以前の借りを倍にして返すことになると思いますゆえ」 真顔になった雪斎を、信方はまじまじと見つめる。 ――どこまで本気なのか読めぬが、確かにこの漢は重要なことを伝えにきたのであろう。 そんな思いが頭の片隅をよぎっていた。 「小諸行きの話をご存じないとわかったからには、信虎様の話を正確にお伝えいたしまする」 雪斎は話を続ける。 それは驚くべき内容だった。 佐久(さく)往還から北国(ほっこく)街道を目付するために小諸宿に新しい城を築き、そこに晴信と信方を先方衆として入れる。それが安定したならば、小笠原家のある松本平に攻め寄せ、そこも新たな領地としたい。そこまではまともな話だった。 しかし、その先から大きく内容が変転していく。 信濃に新しい拠点ができたならば、晴信はそこの一城主として留め置き、新府へは戻さないというのである。それがどのような意味なのか、雪斎ですら計りかねたという。 「……ますます驚くべきお話でありましたゆえ、わが主もただ聞いているしかなく、その真意も計りかねました。そのうち、信虎様は御酒を召し上がり過ぎ、どんとん言葉が荒れ始め、しまいには話が支離滅裂になってしまいました。そこで土屋昌遠と目配せし、その夜の談合を打ち切らせていただきました。信虎様には寝所へお移りいただき、そこでごゆるりと御酒を召し上がっていただくことにいたしました。ただ、お話があまりに突飛でありましたゆえ、わが主とも由々しき事態と考え、その夜、さらに土屋昌遠殿からお話を伺うことになりました。このまま、お話を続けてもよろしかろうか?」 雪斎は信方に念を押す。 おそらく、これまで以上に過激な話が出てくるという合図だった。