連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志9 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 武田勢は逸見路を北西へ進み、四刻(八時間)をかけて須玉の若神子城へ到着した。
 ここが初日の宿営をする場所であり、須玉から先は道が二股に分かれている。そのまま北西へ進めば諏訪に至り、もうひとつの道で進路を真北に取れば、海ノ口城のある佐久郡(さくごおり)南牧(みなみのまき)へ出ることができた。
 若神子城は甲斐から信濃へ出ていくために、欠かせない要衝にある。それだけでなく、逸見館とも呼ばれ、武田家とは昔から深い縁があった。
 築いたのは新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)であり、甲斐源氏の居館として子孫である源義清(よしきよ)や清光(きよみつ)に受け継がれている。つまり、新府の躑躅ヶ崎館よりも遥かに由緒があった。
 武田勢がここに到着してから間もなく、諏訪頼満(よりみつ)が信虎のもとへ挨拶に訪れる。
「左京大夫(さきょうのたいふ)殿、こたびの御出陣、御目出度うござりまする。ご嫡男の御元服、御初陣とお聞きし、推参仕りました。それがしの孫、頼重(よりしげ)と一統の者たちを連れて参りましたので、どうか陣の端にお加えくだされ」
 頼満の言葉に、信虎は皮肉な笑みを浮かべながら答える。
「確かに、太郎は長男ではあるが、まだ跡を嗣ぐと決まったというわけではない。貴家のように何事かが起こらぬとは限らぬな」
「……はぁ。これは、失礼をば申し上げました」
「ともあれ、長男の初陣ということには変わりあらぬ。諏訪一統の与力は、ありがたし。ところで、安芸守(あきのかみ)殿。わが娘婿となる御孫殿はいくつになられた?」
「はい、頼重は齢(よわい)二十一にござりまする」
「さようか。頼隆(よりたか)殿のことは残念であったが、御孫殿も諏訪家の跡を嗣ぐに不足のない年頃となっておるということではないか。そなたも心おきなく楽隠居できようて」
「はい。まことに……」
 諏訪頼満はこの年で齢六十四となっていた。
 実は六年前の享禄(きょうろく)三年(一五三〇)四月に、嫡男の頼隆が齢三十二で急逝しており、長男の頼重が齢十六で嫡孫となる。その翌年、諏訪家は信虎に叛(そむ)いた甲斐の国人衆に与力し、河原辺(韮崎)の合戦で痛恨の敗北を喫し、窮地に立たされた。
 さらに武田家と今川家の和睦を知り、頼満は己が出家して隠居することを条件に縁結びを申し入れ、嫡孫と一統を守ることにしたのである。それは頼満の本心から望むところではなかったが、諏訪家を守らなければならない惣領(そうりょう)として苦渋の決断だった。
「安芸守殿、こたびは御次男も一緒か?」
 信虎が酷薄な笑顔で訊く。
 頼重の弟、諏訪豊増丸(とよますまる)は武田家の質になるという約定がなされていた。
「……豊増丸は兄の頼重ともだいぶ歳が離れており、まだ童(わっぱ)ゆえ、こたびは同道しておりませぬ。いずれ威儀を正し、躑躅ヶ崎館へご挨拶に参らせる所存にござりまする」
「ほう、さようか、ならば、その折には於禰々(おねね)にも挨拶をさせるゆえ、頼重殿も新府へ参るがよい」
「改めて、日取りなどをご相談させていただきまする」
 頼満は感情を押し殺した面持ちで答えた。



   4   次へ
 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
Back number
第二章 敢為果断(かんいかだん)
第一章 初陣立志16
第一章 初陣立志15
第一章 初陣立志14
第一章 初陣立志13
第一章 初陣立志12
第一章 初陣立志11
第一章 初陣立志10
第一章 初陣立志9
第一章 初陣立志8
第一章 初陣立志7
第一章 初陣立志6
第一章 初陣立志5
第一章 初陣立志4
第一章 初陣立志3
第一章 初陣立志2
第一章 初陣立志