よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「御朝見(ごちょうけん)取次の儀、公方殿のお口添え、まことに有り難く存じまする。大和守、かの目録をこちらへ」
 長尾景虎が家宰に命じた。
「はっ!」
 直江景綱が三方に載せた目録をうやうやしく奏者の前に差し出す。
「どうぞ、こちらをお納めくださりませ」
 幕府への寄進を記した書面だった。
「謹んで、お預かりいたしまする」
 両手で目録を受け取り、細川藤孝は深々と頭を下げた。
「公方殿が勘解由小路(かでのこうじ)の烏丸(からすま)に新たな御柳営(ごりゅうえい)を造築なされていると聞きました。幾ばくかの助成にでもなれば、幸いと思うておりまする」
 半眼の相で、長尾景虎が穏やかな声を発する。
「念入りなるお心遣いに、重ねてお礼を申し上げまする」
 細川藤孝の言葉をもって会合は終わった。
「では、大和守。御使者を労(ねぎら)いの席へご案内せよ。余も後から参じる」
 長尾景虎が宴席への移動を命じた。
「承知いたしました」
 直江景綱と神余親綱は、幕府の使者たちを別の広間へ案内する。
 そこには酒宴の支度がなされており、家臣同士の親睦を深めるための会が始まった。
 先ほどとはうって変わり、打ち解けた雰囲気で宴が進む。
「隼人佑殿、ひとつお伺いしてもよろしいか?」
 大舘晴光が己よりも一廻(まわ)り以上若い神余親綱に一献を酌しながら訊く。
「陸奥守(むつのかみ)殿、何なりと、どうぞ」
「洛内以外で、御主君が訪ねたい場所などはありませぬか?」
「京以外で……。前回は叡山や高野山(こうやさん)にも参詣なされたので、こたびも詣でるのではありませぬか。そういえば、堺(さかい)の町を見聞してみたいと申されておりました」
「ほう、堺を。ちょうど、会合(えごう)衆に知り合いがおりますゆえ、見物の案内を頼んでおきましょう」
 大舘晴光が言った会合衆とは、交易で栄える堺の町を牛耳る豪商たちのことだった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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