第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)10
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
若き関白もなかなかの酒豪であり、景虎に負けじと盃(はい)を呷(あお)る。
「麿は武門に生まれたかった」
「……と申されますと?」
「公方様の舅となった父上のせいでもあるのだが、朝廷の仕事が退屈で仕方がない。特に、関白の職はお飾りでしかなく、御今上のために何かをして差し上げることも叶(かな)わぬ。この畿内にいるのも、さんざん飽いた。今は東国にでも下向したいと思うているのだが」
「まことにござりまするか?」
「本心に相違ない。景虎殿、いっそ越後に呼んでくれぬか」
「前嗣殿がお越しになられるならば、歓迎いたしまする」
「ならば、血書の起請文(きしょうもん)を交わしておこう。麿は必ず越後に下向する、と」
近衛前嗣は本気で畿内からの出奔を考えていた。
この後、二人は諸国の争乱を憂う話で同調し、肝胆照らし合う仲となる。
こうした酒宴が度々開かれるようになり、景虎は近衛前嗣や足利義輝と昵懇の仲になった。
景虎が「生涯、女人不犯(にょにんふぼん)」を標榜(ひょうぼう)していることもあり、宴席に女人が侍(はべ)ることはなく、代わりに眉目麗しい若衆が同席していた。漢(おとこ)だけで大酒を吞(の)み、夜を明かすことも多く、そのせいで景虎は腫物(はれもの)を患う始末だった。
それでも、堺を見物し、高野山へも参詣し、なんと在京は半年近くにも及んだ。
帰国が決まった頃、近衛前嗣は血書の起請文を持参し、「越後へ同行したい」と申し入れる。
しかし、近衛稙家を通じて、この件が朝廷に知れ、「御今上の即位式に関白が不在では困る」として三公によって近衛前嗣の下向は押し止められた。
近衛前嗣はいったんは下向を諦めたが、「近いうちに必ず越後へ赴く」と景虎に約束する。
足利義輝からは御相伴衆に任じられ、景虎は「もしも、幕府に叛意(はんい)を示す者があった場合、何をおいても上洛し、これを討伐する」という誓詞を差し出す。
代わりに「関東管領職、上杉(うえすぎ)憲政(のりまさ)の進退は長尾景虎に任せ、信濃(しなの)の諸家に対しても意見を加えるべし」という御内書が下された。
こうした成果を得た上で、長尾景虎は永禄二年(一五五九)十月二十八日に越後へと帰国した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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