よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「そなたの忠義、まことに嬉(うれ)しく思う」
 義輝は上洛の褒美として粟田口国綱(くにつな)の太刀(たち)を遣わした。
 滞りなく拝謁の儀は終わり、大広間に移動して歓迎の酒宴が催された。
 足利義輝は上機嫌で景虎を隣に座らせる。
「余は宴で堅苦しいのは好まぬ。本日は無礼講で心ゆくまで酌み交わそうぞ。呼び名は、弾正でよいか?」
「勿体(もったい)なき御言葉にござりまする」
 それから二人は、和気藹々(わきあいあい)と酒を酌み交わす。
 景虎を挟むように、顧問役の近衛稙家も座し、じっと二人の会話に耳を傾けていた。
 宴も酣(たけなわ)となり、だいぶ酒の進んだ義輝が相好を崩す。
「弾正、こうして側で見ると、そなたは稀(まれ)に見る美丈夫であるな」
「……」
 景虎は思わず返答に詰まる。
「そなたと酌み交わす酒は殊の外、旨(うま)い。たった一度の酒宴ではつまらぬ。明日、武家伝奏がそなたを訪ね、その後、御主上(おかみ)への拝謁が終われば、堅苦しい儀礼は済む。何度でも酒宴を開こうぞ」
「有り難き御言葉」
 景虎は自他共に認める酒豪であり、まったく酔った素振りを見せない。
 それを見た近衛稙家が初めて口を開く。
「景虎殿、上様はそなたが従四位下(じゅしいのげ)、左近衛(さこんのえ)権少将(ごんしょうしょう)に叙任されるよう朝廷に奏上なされておりまする。武家伝奏からも、さようなお話がありましょう。御今上(正親町〈おおぎまち〉天皇)の新しい御世(みよ)となり、そなたのような臣下が幕府に参ずることを心より望んでおられまする」
「……身に過分な御期待にござりまする」
「ご謙遜なさりますな。朝廷も景虎殿を気にかけておりまする。私事にもなりますが、わが愚息がそなたの評判を聞きつけ、是非にお会いしたいと申しておりまする」
「近衛様のご子息とは……関白の……」
「前嗣と申し、確かに御今上の最も側にお仕えしておりまするが、大臣とは違い、関白は名誉の職に過ぎませぬ。朝廷の臣としてではなく、景虎殿と直に御歌のお話などがしたいと申しておりまする。いかがにござりましょうや?」
「……お断りする理由がござりませぬ。是非、お願いいたしまする」
 景虎は頭を下げた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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