よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 ところが巷(ちまた)の風聞によると、智慶院は第十二代征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)であった足利(あしかが)義晴(よしはる)の子を身籠もったまま三淵晴員に嫁ぐことになり、藤孝を産んだといわれていた。
 それが事実ならば、今の公方である足利義輝(よしてる)とは、確かに同父異母の庶兄ということになる。
「そうした経緯があったため、藤孝殿は元服前に細川元常(もとつね)殿の養子となり、刑部(ぎゅうぶ)家の嫡子になられたと。細川元常殿は三淵晴員殿の実兄で、お子がいなかったようにござりまする。齢十三で足利義輝殿の近習(きんじゅう)となり、当時は義藤(よしふじ)と名乗られていた公方殿から偏諱(へんき)をいただき、藤孝として元服なされたそうにござりまする。今では、必ずや公方殿の重臣になるであろうと将来を嘱望されているとか」
 神余親綱は己が調べ上げた話を直江景綱に伝える。
「よく調べ上げたな、親綱」
 直江景綱が満足げに神余親綱の肩を叩(たた)く。
 この家臣は、天文(てんぶん)二十二年(一五五三)に長尾景虎が初上洛した時も折衝役として同行しており、各所を奔走して後奈良(ごなら)天皇への拝謁を成功させていた。 
 今回も家宰の直江景綱と共に朝廷と幕府に対する折衝役を任され、景虎のために万端の準備をした上で随行している。
「奏者の他に、公方殿の側近で気にかけておかねばならぬ御方は?」
「やはり、まずは執事役の六角(ろっかく)義賢(よしかた/承禎〈じょうてい〉)殿でありましょう。近江国と伊賀国(いがのくに)の守護職にして、こたび三好(みよし)との和睦を成立させた御方にござりまする。この約定がなければ、公方殿の帰洛は難しかったのではありますまいか」
「なるほど」
「さらに、相談役の近衛(このえ)稙家(たねいえ)殿ではないかと。この御方は公方殿の舅(しゅうと)にして元太政(だじょう)大臣であり、宮家や朝廷に対して絶大な影響を及ぼすことができると聞いておりまする。こたびも公方殿のために朝廷と折衝し、御今上(ごきんじょう)への拝謁まで取り仕切っておられると。五年前には、御嫡子の近衛前嗣(さきつぐ)殿が関白となられており、並みいる大臣の方々も近衛稙家殿には頭が上がらぬのではないかと聞いておりまする」
「元太政大臣が後盾(うしろだて)か……。こたびの上洛は思いの外、大事になりそうであるな」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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