「もはや、手をこまぬいているべきではないとは思うておる。されど、何から手をつければよいのか皆目わからぬ」 「廃嫡を思い留まっていただくために、御屋形様をお諫(いさ)めするとしても、生半可なことはできぬぞ。今川家が申すように御隠居をお薦めするなどという絵空事で済むはずがなかろう」 「この一命を賭してでも、お諫めせねばならぬと思うている」 「それは違うぞ、信方。たとえ、そなたが腹を切ったとしても、御屋形様は考えを変えてくださるとは思えぬ」 「昌俊……」 「誤解のないように言うておくが、そなたの一命が軽いという意味ではないぞ。命懸けの諫言(かんげん)が響かぬほど、御屋形様の御変調がひどいということだ」 「御変調……」 「さよう。御酒の召し上がり過ぎによる御変調だ。……いや、すでに御乱心と言うべきかもしれぬ。この身も包み隠さず話すゆえ、そなたも心して聞いてくれ」 原昌俊が厳しい表情で話を続ける。 「前の戦においても、御屋形様は日がな盃を放さず、ほとんど素面(しらふ)でおられることがなかった。大事な御裁可を仰いでも、深酔いのせいで呂律(ろれつ)が回らぬのか、『よしなにいたせ』の一点張りであらせられた。突然、刀を抜き、訳のわからぬ言葉で怒鳴りながら、振り回されることもあった。他の家臣には見せられぬゆえ、近習頭(きんじゅうがしら)の荻原(おぎわら)虎重(とらしげ)と一緒に幔幕(まんまく)の奥で押さえていたほどだ。なにゆえ、あれほど暴れられるのか、見当もつかぬ。実は、それも最近始まったことではなく、ここ数年はずっとさような状態であったのだ。ちょうど、晴信様の御初陣が終わった頃からか。この身が奉行について何かをお訊ねしても、御酒を過ごされて話にならず、無能呼ばわりされて盃や脇息(きょうそく)を投げつけられたことも数えきれぬ」 「そなたを無能呼ばわり?」 「駄馬めが!……というのが御屋形様の口癖だ」 「信じられぬ。そなたは御屋形様の御叱責など受けたことなど一度もないと思うておった」 「莫迦(ばか)を言え。それがしと荻原昌勝(まさかつ)殿は、どれほど罵倒されたことか。おそらく、あの御方が体調を崩されたのも、御屋形様の罵詈雑言(ばりぞうごん)に耐え切れなくなったからであろう。もっとも、それがしと荻原殿しか、勘気をこうむる覚悟で苦い話をする者がいなかったからだがな。他の者は追従(ついしょう)しかしておらぬ」 「そうであったのか」 「今の御屋形様を正論だけで説得できるとは思えぬ。今川家も酒席を共にし、そのことに気づいたのやもしれぬ。だから、御屋形様では領国経営の立て直しが難しいのではないかということを暗に伝えてきたのではないか」 「……かもしれぬな」