「……いや、綺麗事を言うのは止めだ。大事なのは甲斐一国と武田一門が無事に存(ながら)えるということだ。家宰の座をめぐる争いなど、はっきり申せばどうでもよい。ただし、若をないがしろにする身勝手な奴らだけは、絶対に許さぬ」 「やっと本音を明かしてくれたな、信方」 原昌俊は真っ直ぐに同輩を見つめる。 「このままでは甲斐一国と武田一門が潰れかねぬ。信方、そなたはそう思うているのではないか?」 「……その通りだ。甲斐一国と民の疲弊はすでに尋常のものではなく、このまま大飢饉(だいききん)と荒天が続けば、まことに国が潰れかねぬ。立て直しができるかどうか、その見通しすらも立っておらぬ時に、己の保身しか考えぬ輩(ともがら)がいるということに抑えがたい怒りを覚える! 断じて許せぬ!」 「やはり、そこまで深刻に捉えていたか。ここ数年、この身も同じような危惧を抱いてきた。そなたがその思いを貫き通すつもりならば、とことん付き合うてやらぬでもないぞ」 「昌俊……」 「何から始めるつもりだ?」 原昌俊の問いに、信方はしばし口を噤(つぐ)む。 それから意を決したように言葉を発する。 「そなたにもうひとつ相談しておかねばならぬ大事な事柄がある」 信方は太原(たいげん)雪斎(せっさい)の話を最初に打ち明けるべきなのは、この漢(おとこ)だと咄嗟(とっさ)に決めていた。 「その顔からすると、よほどの話らしいな」 「二人で内々に話したい」 そう言ってから、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)の方に向き直る。 「すまぬ、跡部。昌俊と二人きりにしてもらえぬか」 「承知いたしました」 跡部信秋は二人の気配を読み、すぐに席を立つ。 それに合わせて信方も立ち上がる。 「跡部、重ねてすまぬが、頼みがあるのだ。実は……」 「青木殿と飯田(いいだ)殿、双方の寄合を含め、動きを探っておけばよろしかろうか?」 跡部信秋は表情も変えずに訊く。 「……あ、ああ。頼めるか」 「そんなこともあろうかと思い、双方の寄合にはすでに手の者を入れてありまする。実は、さきほど駿河守(するがのかみ)殿が申されたことを報告しようと思うておりましたが、すでにご存じとはさすがにござりまする。寄合のことも含め、双方の動きについては、いつでも詳細にご報告できるようにしておきまする」 「それは助かる」 「加えて、駿河守殿。もしも、人手が必要とならば、いつでもお申し付けくだされ。晴信(はるのぶ)様の御初陣に加わった者どもをはじめとし、下の者たちをすぐにまとめまする。あれ以来、若君様をお慕いする者は日に日に増えておりますゆえ」 「さようか……。頼りにするぞ」 「お任せくださりませ。では、失礼いたしまする」 微(かす)かな笑みを浮かべて頭を下げ、跡部信秋は室を出ていった。