──富田城の周辺には、まだ大井の親族も残っている。もしも、御屋形様が敗れるようなことがあれば、御方様をはじめとして一族は雪崩を打って今川に走るだろう。そうとなれば、生まれてくる御子は、今川の人質も同然の身だ。それを許せぬがゆえに、御方様を自害させよとお命じになられたのだ。 いずれにしても勝敗によって、それぞれの運命は大きく変わるはずだった。 そして、ついに戦況が動く。 今川勢はしばらく富田城に駐留した後、釜無川に沿って北上し、躑躅ヶ崎館の北西を流れる荒川を挟んだ竜地台に陣を置いていた。 信虎は荒川の飯田河原に布陣し、相手が渡河する時を狙っていた。それだけでなく、地の利を生かして伏兵を置き、今川勢に奇襲を仕掛けるつもりだった。 十月十六日の払暁、満を持して今川勢が荒川を渡ろうとして動き出す。これに対し、武田勢は対岸で応戦し、陸へ上げまいと押し返す。この時、渡河を敢行した今川勢が五千余であったのに対し、信虎が率いる武田勢は二千弱でしかなかった。 飯田河原で両軍が戦いを開始したことは、すぐに躑躅ヶ崎館と要害山城に知らされる。 ──ついに始まってしまったか……。 信方は充血した眼を見開く。 ここ数日、報告を待つため、ほとんど寝ていなかったが、心気がささくれだって眠気を感じない。 早朝から始まった戦いは、意外な展開を見せる。 信虎は二千弱の兵で今川勢の五千余と果敢に戦った。 孫子の兵法にもある通り、軍勢が川を挟んで対陣した場合、先に渡河する方が不利となる。待ち受ける方は足場のよい岸辺に陣取り、高所から足場の不安定な水辺へと敵を押し返せばよいからだ。相手が倍の兵力でも、互角以上に戦うことができる。 しかし、信虎の狙いは、それだけではなかった。 この戦いで時を稼ぎ、相手を脅かす策を仕掛ける。伏兵となった千二百の兵が、密かに今川勢五千余の背後に廻り込む。 狙いは、挟撃ではない。手薄になった後方の敵本陣と総大将の首級(しるし)である。 奇襲隊が今川勢本陣の横腹を突いて攻め入り、瞬く間に総大将の旗本百余名を討ち取る。まったく予期していなかった武田勢の攻撃に、慌てた福島正成は残りの兵を率いて南側へ退却した。 それを見た奇襲隊はすぐに標的を変え、渡河しようとしている今川勢の背後から挟撃し、「総大将の福島正成を討ち取ったり!」という虚報を触れ回る。それに驚いた今川の兵は渡河を止めて四散し、勝手に富田城へ戻ろうと逃げ出す。 信虎はここぞとばかりに総攻めの采配を振り、今川勢を追撃して戦果を上げる。寡兵をものともせず、地の利と用兵の妙を駆使した武田勢の圧勝だった。 その朗報は午後になって要害山城へも届けられ、信方は思わず胸を撫で下ろす。 ──すぐに、御方様にも、ご報告せねば。 勝利の一報を聞き、大井の方も安堵の溜息をついた。