連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「あっ、葛籠の支度……。板垣様、少しの間、お願いいたしまする」
 藤乃は赤子を差し出す。
「ええっ!」
 信方は思わず後退りしてしまう。
「……いや、無理だ。赤子など、抱いたこともない」
 両手と首を同時に振る。
「人手が足りませぬゆえ、少しの間だけ、お願いいたしまする。寝床の支度をしますゆえ」
「……勘弁してくれぬか。泣きじゃくっておるではないか」
 逡巡する信方に、藤乃は強引に赤子を抱かせる。
「落とさぬよう、しっかりと抱えて。されど、力を込めすぎず。優しく左右にゆすり、あやしてやれば、泣き止みまする。では、お願いいたしまする」
 藤乃はさっさと葛籠を取りに行く。
 ──なんということか……。うまく抱けずに落としてしまいそうだ。
 力の込め具合がわからず、信方はぎこちない動作で赤子を左右にゆすってやる。太い腕の中で泣きじゃくり、赤子は余計に手足をばたつかせた。
 ──こ、こら、暴れるでない。こ、こうか……。
 信方は左右に足踏みをし、ゆっくりと自ら動く。すると、思わぬことが起こった。
 ──まさか……。
 赤子の泣き声が次第に小さくなっていく。
 産婆と侍女たちも動作を止め、不思議そうにその光景を見ている。
 しまいには泣き止み、赤子は信方の腕の中で小さな寝息を立て始めた。
「あれ、まぁ」
 産婆は赤子を寝かしつけた武骨な家臣を驚きの表情で見ていた。
 信方は顔を強ばらせ、照れ隠しで笑うしかなかった。
 己の腕の中に、皺くちゃの小さな寝顔がある。子猿のようで決して可愛らしくは思えないが、その無防備な表情を見ていると、自然に守ってやらなければならないという思いが湧いてきた。
 それを意識した途端、雷に打たれたが如く、信方の背筋に微かな痺れが走った。言葉にはできない感情が丹田(たんでん)から胸の裡へとせり上がり、思わず瞳が潤んでしまう。
 そして、ある思いが浮かんでいた。
 そこへ葛籠を抱えた藤乃が戻ってくる。
「ありがとうござりまする。では、御子をこちらへ」
「ああ、わかった」
 信方は敷き詰められた綿入れの上に赤子を寝かせる。
「しっかりと、あやせたではありませぬか」
「……たまたま、であろう」
 ぶっきらぼうな口調で信方が答える。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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