大わらわで移座の支度が行われ、夜更け過ぎに大井の方を乗せた四方輿と荷車が出立する。 「皆、足許に気をつけて慎重に御方様を運ぶのだ! 決して転ぶでないぞ!」 信方は先頭に立ち、龕灯(がんどう)で坂道を照らしながら進む。 屋形の中からは、大井の方の苦しげな呻き声が漏れてくる。 ──まるで、大病人の如き苦しみようではないか。出産とは、かくも大変なものなのか……。 初めてのことばかりで、信方は戸惑いを隠せない。 半刻弱で積翠寺へ到着し、夜中に起こされた住持は驚いていたが、武田家の大事と知って快く迎えてくれた。 信方は本堂に荷物を運び入れ、急ぎ仮の産室を設(しつら)える。大井の方をそこに寝かせてから、藤乃と産婆に後事を託し、さらなる仕事に向かった。 まずはいくつかの火鉢に灼炭(やきずみ)を入れ、本堂に置く。産室を冷やさないためであった。 それから家臣を伴って四町歩(約四百b)ほど離れた涌湯へ行き、桶に熱い湯を汲んで寺へ戻る。産湯に使うためのものだったが、分娩がいつ終わるのかは、まったくわからない。 信方は本堂の隣にある庫裡で待機していたが、時折、大井の方の苦しげな声が聞こえてくるだけだった。 ──産婆は陣痛の間隔が短くなってから、御子を取り出すと申しておったのだが、どのくらい時がかかるのか、見当もつかぬ……。 汲んで来た湯はすぐに冷めてしまい、再び涌湯へ行かねばならなかった。 外で石を焼き、それを冷めた湯に入れ、温度を戻すことも考えたが、塵が浮いてしまうので産湯には使えない。 結局、何度も温泉場へ行き、湯を汲んでくるしかなかった。 通常、出産の場合は始まった陣痛が短い間隔になり、そこから二刻(四時間)もあれば分娩を終えることができる。しかし、大井の方は細身のせいか、たいそうな難産だった。 四半刻(三十分)ごとにお湯を汲みに行き、それが十二回を超えようとした頃である。 本堂の中が、にわかに騒がしくなる。 「ほれぇ、息んで。ひぃ、ふぅ、みぃ……」 嗄(しわが)れた産婆の声に続き、悲鳴に近い大井の方の声が聞こえてきた。 その声で、瞼が落ちかけていた信方も飛び起きる。 「……おい、さきほど汲んで来たお湯は冷めておらぬか?」 訊かれた家臣は桶に指を入れ、熱さを確かめる。 「ちょうどよい湯加減かと」 「さようか」 そう答えながら、信方は本堂の様子に聞き耳を立てる。