連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 産婆の掛け声とそれに答える大井の方の息みが速くなってきた。
 産室は男子禁制の場である。通常ならば、傍に付き添うこともない。
「ほれ、気張れぇ。息んでぇ。あかぁの頭が見(め)えとるずら!」
 産婆の声が一段と高くなる。
 信方は息を詰めて様子を窺う。
 一瞬の静寂。
 そのすぐ後に、藤乃の叫び声が響く。
「板垣様!」
「お、おう、隣に控えておるぞ」
「板垣様、早く!」
「な、何を!?」
「産湯……産湯を早く!」
「おい、戸を開けてもよいのか?」
「板垣様、お一人で早く!」
「御免!」
 湯と水を入れた桶を両手に下げ、信方は本堂へ入る。
「その盥にお湯を」
 藤乃が用意した盥を示し、信方はお湯を張る。その際に、産婆に取り上げられた赤子が見えた。
「あれ、泣かねぇずら。ほれ、息め」
 産婆は赤子の呼吸を促すように背中と尻を叩いてやる。
 何度か軆を震わせた後、火がついたように赤子が泣き始めた。
「よぉし、よぉし、もう大丈夫ずら」
 そう言いながら、産婆は赤子の顔を大井の方に見せてやる。それから、湯の温度を確かめた。
「もう少し、うめて。ひと肌つれえ」
 産婆が信方に指示する。
 お湯に水を足し、人肌ぐらいの温度にしろという意味だった。
「あかぁを温(ぬ)くめろし」
 産婆はちょうどよい温度になった産湯に赤子をつけ、軆を洗い流してやる。それから、白布で拭き、さらに新しい白布と毛氈(もうせん)を重ねて赤子をくるむ。
 すべてが淀みない手際だった。
 凝視してはいけないと思いながらも、信方はその様子に見入ってしまう。男子か、女子か、徴(しるし)を確かめたかったからである。
「あとは頼むずら」
 産婆は泣き続ける赤子を藤乃に託す。
 それを愛おしそうに抱き、あやし始めた途端、またしても藤乃が小さく声を上げる。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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