連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「まあ、よかろう。これだけ打ちのめせば、今川もしばらくは当家に手を出せまい。こたびの戦は非の打ち所なき余の勝利だ。さような機会に生まれたのだから、勝千代とでも名付けるとするか。千代に勝ち続ける。武田の子にふさわしい、なかなか良き名であろうが」
「素晴らしき御名にござりまする」
「ところで、信方」
「はっ」
「物の序(つい)で、という言葉もある。このまま、そなたが勝千代の傅役(もりやく)となれ」
 意味ありげな冷笑を浮かべ、信虎が言い渡す。
「ははっ。有り難き仕合わせ。身に余る栄誉にござりまする。一命を賭して務めさせていただきとうござりまする」
 信方は両手をつき、深々と頭を下げる。
 ──もしも、御子が幼いうちに、もう一度、今川の大軍が攻めてきたならば、御屋形様はこたびと同じ命令を下されるのであろう。されど、よかった。この身が傅役である限り、勝千代様に容易く自害などさせぬ。
 すでに覚悟は決めてあり、信方の胸の裡では心配よりも安堵が勝っていた。
 この年、今川の大軍を撃退し、武田信虎の甲斐統一がより鮮明に見えてきた。
 心配された報復の出兵はなく、今川家はしばらく武田に手出しをしなくなった。武田家の内訌が大きな節目を迎えたということである。
 誕生した正室の長男は勝千代と名付けられ、この童はやがて太郎晴信(たろうはるのぶ)と名乗ることになる。
 しかし、後の世に武田信玄(しんげん)と呼ばれ、戦国大名の魁(さきがけ)と称えられる英傑になるということは、まだ誰にもわかっていなかった。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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