「湯を沸かす間も惜しいゆえ、いずこから運んでくるか、さもなくば産湯の使える処へ、御方様にお移りいただきとうござりまする。されど、あまり長く輿に揺られますと破水が早まり、御母体に障りまする」 難題だった。しかも、時刻が深すぎる。 「……産湯か」 信方は顎をまさぐりながら思案する。 「ならば、積翠寺にお移りいただくのはどうだ?」 「積翠寺?」 「ここへ登る途中に休憩した寺があったであろう。あれが積翠寺だ。あそこならば、近くに涌湯(わきゆ)が出ており、地の者は湯治場として使うておる。寺まで湯を汲んでくれば、井戸の水で熱さの加減も調整できるはずだ」 「それならば、よいかもしれませぬ」 藤乃は初めて、ほっとした表情になった。 「では、それがしは一足先に積翠寺へ行き、住持に話を通しておく」 「お待ちくださりませ!」 「……な、何であるか」 「ご家臣の方に輿の手配りをお願いいたしまする。それと、念のために、ありったけの白布と館から持ってきた御方様のための御蒲団、桶や盥(たらい)などを荷車に積み、一緒に運んでいただきとうござりまする」 「お、おお……わかった」 「あっ!」 藤乃は何かを思いついたように小さく声を発する。 「……まだ、何か?」 「この身が御方様のお着替えをまとめますゆえ、それも一緒に。あと、大きめの葛籠(つづら)か、行李(こうり)をいくつか、お願いできませぬか」 「それほどの御衣裳が?」 「いいえ、違いまする! 大きめの葛籠に掛け蒲団を敷き詰めると、ちょうど良い赤子の寝床となりまする。生まれたばかりの子は、大きな蒲団に寝かせると知らぬ間に俯せになってしまうやもしれませぬゆえ、顔だけを出して温かく綿入れでくるみ、大きめの葛籠に寝かせるぐらいがちょうど良うござりまする」 「あ、ああ……。そういうことであったか」 信方はこの侍女の機転に感心しながら頷く。 「ならば、それがしも支度を手伝い、輿と一緒に積翠寺へ下りることにしよう」 「お寺の受け入れは、大丈夫にござりまするか?」 「それは任せてくれ。住持を叩き起こして事情を吞み込ませるゆえ」 「よろしく、お願いいたしまする」 「では、まず輿の手配りだな」 信方はすぐに家臣を集めに走る。