「ほう、君主の徳か。ならば、そちは君主たる父に、あえて君主の徳を説いてみせたのだな」 「いいえ、さようなつもりは……」 「たまたま、そこを学んでいたから、などという言訳は通じぬぞ。人は己の言葉に責任を持たねばならぬ。たとえ宴の場であろうともな。特に、人の上に立とうという者はだ」 信虎の顔つきが完全に変わっていた。眼に怒りの焔が宿っている。 それを見た信方が、たまらずに声を発してしまう。 「御屋形様、申し訳ござりませぬ。それがしがいま学んでおられる三略を暗誦してみせてはいかがかと若君に申し上げました。思慮が足りず、まことに……」 「黙っておれ、信方!」 家臣の言葉を遮り、信虎は太郎を睨みつける。 「余はいま大事な話をしておる。よいか、そちの言葉が、余には皮肉としか聞こえぬ。なにゆえか、これから説明してやろう。確か、孫子は終わったと申しておったな。ならば、第八の九変篇をここで暗誦してみせよ」 「……あ、はい」 太郎は必死で記憶を辿る。 「……そ、そんし」 思わず喉が詰まり、声が掠れる。 「ん、んんっ!……孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、軍を合し、衆を聚(あつ)め……」 「そこはよい! 将の五危に関する一節があったであろう。そこを聞かせてみよ」 「将の五危……。はい。ゆえに将に五危あり。必死は殺さるべきなり、必生は虜にさるべきなり、忿速(ふんそく)は侮らるべきなり、廉潔は辱(はずかし)めらるべきなり、愛民は煩(わずら)わさるべきなり。およそ、この五つのものは将の過ちなり、兵を用うるの災いなり。軍を覆し、将を殺すは、必ず五危をもってす。察せざるべからず」 太郎は必死で思い出す。 「よしよし、覚えておるではないか。して、どういう意味か?」 矢継早に出される信虎の問いに、太郎の顔が歪む。今にも泣き出しそうだった。 一同は静まり返り、二人のやり取りを見つめている。 「ゆえに、将には五つの危険が潜んでいる。決死の覚悟をすれば殺される。生き残ることばかり考えれば、生きて虜にされる。……短気を出せば、敵に侮られ、清廉すぎれば、恥をかかされる。……民を愛しみすぎると、煩わされるだけだ。……およそ、この五つは、将たる者の取り返しのつかない誤りである。……軍勢を滅亡させ、将を殺すならば、この五つの危険に誘い込めばよい。注意しなければならない」 泪を堪(こら)えながら、太郎は何とか意味を語りきった。