太郎が生まれた年、今川の大軍を飯田河原と上条河原で撃退した功労者たちが、初期の重臣たちであり、やはり荻原昌勝を筆頭とし、山県(やまがた)虎清(とらきよ)、馬場虎貞(とらさだ)、工藤虎豊(とらとよ)、内藤虎資(とらすけ)などの面々がいた。先代の偏諱(へんき)をもらった昌勝を除けば、いずれも「虎」の一字を偏諱とするような近習ばかりである。 しかし、今では荻原昌勝以外、誰も家中に残っていない。 いずれも重要なことに関しては主君に諫言も辞さないという気骨の武将であったため、天文年間が始まった頃、信虎の勘気に触れて放逐されるか、諂(へつら)い者の讒言(ざんげん)によって失脚させられていた。 これらの者たちは、信方の父、板垣信泰とも親しく、家中を去ってしまってからは板垣家の立場も微妙なものとなった。父は信方に「とにかく太郎様の傅役に徹し、家中のことにはできるだけ口を挟むな」と戒めた。 それが主君に「実直なだけが取り柄の家臣」と言われた二人の立場を維持する、最善の方法だったからである。 ──されど、重臣たちの中には、御屋形様が溺愛しておられる次郎様の側についた方がよいなどと吹聴している者もいる。次郎様の傅役が九衛門になったからまだ看過しているが、あまりに眼に余るならば黙ってはおられぬ。 信方はそう思っていた。 次郎の傅役に抜擢されたのは、仲の良い後輩の甘利虎泰である。しかし、当人は主君の溺愛が長男よりも弟に向くなどとは思っておらず、今の状況にひたすら戸惑っているようだった。 「あっ!」 あることを思い出し、信方は膝立ちになる。 太郎の御膳を確かめておかねばならないと思っていたのである。 新年の祝賀ということで膳には豪勢な酒肴が並べられるが、元服していない童には餡でくるんだ牡丹餅(ぼたもち)や黄粉(きなこ)餅などの甘味が添えられる。こうした甘物が正月だけは食べ放題であり、昨年は太郎の御膳にも並んでいた。 ──されど、今年こそはなくなっているやもしれぬ。 信方はそのように考え、中身を検分しなければと思っていた。 甘物がなくなるということは、宿老(おとな)どもと同じ物を食べ、ことによると主君からの流盃が廻ってくるということである。すなわち、太郎の元服がすぐそこに迫り、嫡男と認められる日も近いと読むことができた。 太郎は齢十三となっており、通常ならば、二年か、三年のうちに叙爵が行われ、めでたく元服の儀となるはずだった。 そのような兆候が、確かに昨年あった。 関東の名門、扇谷(おうぎがやつ)上杉家の惣領である上杉朝興(ともおき)の娘を太郎の正室として迎えるという話が持ち上がったのである。