「承知いたしました」 「念のため、侍女たちだけでなく、産婆を同行させよ」 「はっ」 「それと、御屋形様のご命令は忘れておるまいな」 父親に念を押され、信方は浮かない面持ちで頷く。 「……覚えておりまする」 「よし。それがしは残った者で屋敷を固め、竹松(たけまつ)様をお守りする」 父の信泰が言った竹松様とは、今年で齢(よわい)五となった武田信虎の長男である。 しかし、この長男の母は大井の方ではなく、側室ですらない侍女の子だった。 そのため、長男でありながら、まだ嫡子と認められていない。正室である大井の方が男子を産めば、その子が嫡男となるからだ。 そのため、板垣信泰は血の繋がっていない母子を離す形で警護することを選択した。 「信方、いざという時は、御屋形様のご命令通りに動け。あれこれ考え、無用に悩んではならぬ。頼んだぞ」 「……わかりました」 信方は憂いを含んだ顔で頷いた。 翌朝、足軽に守られた四方輿(よもごし)が、躑躅ヶ崎館から北側の山に向けて慌ただしく出立する。行先は新府の詰城が築かれた要害山の頂きだった。 「御方様のお軆(からだ)にさわるゆえ、くれぐれも輿を揺らすでないぞ! ゆっくりとでいいから、足許に注意して登っていけい!」 先頭で板垣信方が叱咤する。 四方に簾をかけた屋形の中にいた大井の方は、臨月間近となっている。担ぎ手は八人だったが、身重の正室を気遣い、輿を揺らさないように移動するのは至難の業だった。 躑躅ヶ崎館から要害山城までは、一里(四キロ)弱しかなかったが、かなりの上り勾配が続く。それでも普通の登攀ならば、具足を身につけていても半刻(一時間)もあれば到着できる。 しかし、休憩を含めて二刻(四時間)も費やし、詰城が見える積翠寺(せきすいじ)の辺りに辿り着く。 その間も、信方はずっと鬱(ふさ)ぎ込んだままだった。 ──だいぶ後輩の九衛門(くえもん)でさえ出陣し、武田家の窮地に対しているというのに、この身は女人の警護。いったい何をやっているのか……。 そんな思いに苛まれる。 九衛門とは、齢三十三の信方より九歳下の甘利(あまり)虎泰(とらやす)のことであり、齢二十四になった後輩は侍大将として武田信虎に随行している。本来ならば、己もその陣中にいるはずだった。